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ザールブリュッケン ザールブリュッケンSaarbrücken

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ザールブリュッケン
Saarbrücken

ドイツ西部,ザールラント州の州都。ザール炭田地帯の工業中心地。ローマ時代からザール川の渡河地点に城が築かれていたが,中世にはライン川沿岸地方と北フランスフランドル地方を結ぶ通商路の要地として栄え,1321年に都市権を得た。 19世紀中頃から鉱工業が発達し,1909年には隣接する3市と合併して現在の市域ができた。現在同州の政治,経済,文化の中心地で,製鉄,製鋼を中心に,醸造,食品,印刷,機械,光学機器,衣料などの工業が盛ん。ザール大学 (1948) ,州立博物館なども所在。旧市庁舎 (1750) ,バロック様式ルートウィヒ聖堂 (1762~75) ,ザール川にかかる旧橋 (1546) ,18世紀の城などの歴史的建造物がある。人口 17万5810(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

ザールブリュッケン

ドイツ,ザールラント州の州都。ザール川河岸にあり,鉄鋼・機械・金属・化学・繊維・石炭工業などが行われる。1381年―1801年ナッサウ伯爵領の主都。大学(1948年創立)がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

ザールブリュッケン【Saarbrücken】

ドイツ南西部,ザールラント州の州都で経済,文化の中心地。人口18万9000(1995)。金属・鉄鋼・機械工業のほか,織物,電機,食品,印刷など各種の工業が行われる。モーゼル川の支流ザール川の盆地に位置する。フランス国境に近く,石炭埋蔵地域のため,独仏争奪の的となる。ローマ時代に城砦が築かれ,1321年に都市法を獲得して遠隔地取引の中心となったが,三十年戦争で破壊をうける。18世紀に繁栄を取り戻し,1793年にフランス領,1815年にプロイセン領となる。

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大辞林 第三版の解説

ザールブリュッケン【Saarbrücken】

ドイツ南西部、フランス国境に近い都市。製鉄・機械などの工業が発達。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ザールブリュッケン
ざーるぶりゅっけん
Saarbrcken

ドイツ西南部、ザールラント州の州都。人口18万3300(2000)。ザール川とその支流が盆地状の河谷を形成する部分に位置する。市域の南部はフランスとの国境をなす。999年にザール川左岸に城と市場が置かれ、1321年に都市権を得た。交通上の要地にあたり、ローマ時代の橋頭堡(きょうとうほ)やローマ街道の遺跡もある。19世紀以降、ザール地方の近代工業発展の中核となり、急速に市街地を拡大、1902年に隣接する2都市を合併した。製鉄業を中心に、鉄鋼、機械、車両などの重工業の発達した工業都市であるが、近年は州都として、政治、経済、文化の中心地としての機能が高まり、第三次産業の比重が大きくなった。[朝野洋一]

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