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シャフツベリー(伯) シャフツベリー[はく]Shaftesbury, Anthony Ashley Cooper, 1st Earl of

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シャフツベリー(伯)
シャフツベリー[はく]
Shaftesbury, Anthony Ashley Cooper, 1st Earl of

[生]1621.7.22. ドーセット,ウィムバーンセントギルズ
[没]1683.1.21. アムステルダム
イギリス,王政復古期の政治家。大地主の家に生れる。 1640年長期議会議員に選出され,清教徒革命の当初は国王派に属したが,44年以降議会派に転じ,53年護国卿時代の議会にも選ばれた。護国卿政権下では反クロムウェルの共和主義者として活躍。 G.マンクと結び王政復古の実現に尽力し,チャールズ2世治世になるとクラレンドン (伯) に反対し続け,その失脚後はカバルの一員として閣議に列し,この頃より J.ロックを側近の一人とした。 72年大法官となり伯爵に叙せられた。しかし王の親フランス,親カトリック政策を批判したため,翌年免職された。以後反国王派 (のちのホイッグ党) の指導者として精力的に活動し,ことに王弟ヨーク公ジェームズ (2世) を排斥してモンマス (公) を擁立しようと策謀し,79年王位継承排除法案の成立をはかったが失敗。 81年反逆罪で逮捕されたが,釈放されてオランダに亡命,亡命先で死去。

シャフツベリー(伯)
シャフツベリー[はく]
Shaftesbury, Anthony Ashley Cooper, 3rd Earl of

[生]1671.2.26. ロンドン
[没]1713.2.15. ナポリ
イギリスの哲学者。幼時,ロックに学び,1686~89年フランス,イタリア,ドイツを家庭教師とともに旅行,帰国後,1695~98年下院議員となり,1699年爵位を継いだ。 1701年上院議員となったが,健康がすぐれず,その前後,オランダで静養 (1699,1703~04) ,公職から離れ研究に専念した。彼の道徳哲学は感情説,特に自然的道徳観に基礎をおき,ホッブズの「人間は孤立した存在である」という主張に反対して,「人間は社会的存在である」ことを説き,また原罪についての伝統的なキリスト教義に反対し,善美の調和のとれた楽天的な世界観を主張した。その美学は美の秩序,芸術創作における創造的契機を重視し,ドイツ古典主義 (ウィーラント,ウィンケルマン,ヘルダー,ゲーテ) に影響を与えた。道徳哲学はイギリスでは F.ハチソン,J.バトラーに受け継がれ,フランスでは啓蒙主義 (ディドロダランベール) に影響を与えた。主著『人間,風習,言論,時代の特徴』 Characteristics of Men,Manners,Opinions,Times (3巻,1711) 。

シャフツベリー(伯)
シャフツベリー[はく]
Shaftesbury, Anthony Ashley Cooper, 7th Earl of

[生]1801.4.28. ロンドン
[没]1885.10.1. ケント,フォークストン
イギリスの政治家。博愛主義者として著名。オックスフォード大学に学び,1826年下院議員となり,トーリー党に所属。産業革命による労働者階級の生活状態の激変に深い関心を寄せ,R.オーストラーと協力,工場法 (1833) ,炭坑夫保護法 (42) ,10時間労働法 (47) などの立法に貢献したほか,貧民学校設立に尽力。 47年以降ホイッグ党に転じ,51年爵位を継いで上院に入ったが,宗教団体の会員としても活動し,海外伝道などを支援した。

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