シャフツベリー

精選版 日本国語大辞典 「シャフツベリー」の意味・読み・例文・類語

シャフツベリー

  1. [ 一 ] ( 一世 )( 1st Earl of Shaftesbury, Anthony Ashley Cooper アンソニー=アシュレー=クーパー ) イギリスの政治家。清教徒革命時代に王党派・議会派・長老派と転じて、王政復古に尽力。反カトリック、ホイッグ党の指導者となった。哲学者ロックの庇護者として知られる。(一六二一‐八三
  2. [ 二 ] ( 三世 )( 3rd Earl of Shaftesbury, Anthony Ashley Cooper アンソニー=アシュレー=クーパー ) イギリスの哲学者。[ 一 ]の孫。道徳感覚学派の祖。ロックの教えをうけ、道徳感情の固有の価値を強調し、真善美の一致を説いた。主著「人間、風習、世論、時代の諸特徴」。(一六七一‐一七一三
  3. [ 三 ] ( 七世 )( 7th Earl of Shaftesbury, Anthony Ashley Cooper アンソニー=アシュレー=クーパー ) イギリスの政治家、人道主義者工場法、一〇時間労働法などの労働立法の制定や、慈善事業・宗教運動に尽くした。(一八〇一‐八五

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャフツベリー」の意味・わかりやすい解説

シャフツベリー(伯)
シャフツベリー[はく]
Shaftesbury, Anthony Ashley Cooper, 1st Earl of

[生]1621.7.22. ドーセット,ウィムバーンセントギルズ
[没]1683.1.21. アムステルダム
イギリス,王政復古期の政治家。大地主の家に生れる。 1640年長期議会議員に選出され,清教徒革命の当初は国王派に属したが,44年以降議会派に転じ,53年護国卿時代の議会にも選ばれた。護国卿政権下では反クロムウェルの共和主義者として活躍。 G.マンクと結び王政復古の実現に尽力し,チャールズ2世治世になるとクラレンドン (伯) に反対し続け,その失脚後はカバル一員として閣議に列し,この頃より J.ロックを側近の一人とした。 72年大法官となり伯爵に叙せられた。しかし王の親フランス,親カトリック政策を批判したため,翌年免職された。以後反国王派 (のちのホイッグ党) の指導者として精力的に活動し,ことに王弟ヨーク公ジェームズ (2世) を排斥してモンマス (公)を擁立しようと策謀し,79年王位継承排除法案の成立をはかったが失敗。 81年反逆罪で逮捕されたが,釈放されてオランダ亡命,亡命先で死去

シャフツベリー(伯)
シャフツベリー[はく]
Shaftesbury, Anthony Ashley Cooper, 3rd Earl of

[生]1671.2.26. ロンドン
[没]1713.2.15. ナポリ
イギリスの哲学者。幼時,ロックに学び,1686~89年フランス,イタリア,ドイツを家庭教師とともに旅行,帰国後,1695~98年下院議員となり,1699年爵位を継いだ。 1701年上院議員となったが,健康がすぐれず,その前後,オランダで静養 (1699,1703~04) ,公職から離れ研究に専念した。彼の道徳哲学は感情説,特に自然的道徳観に基礎をおき,ホッブズの「人間は孤立した存在である」という主張に反対して,「人間は社会的存在である」ことを説き,また原罪についての伝統的なキリスト教義に反対し,善美の調和のとれた楽天的な世界観を主張した。その美学は美の秩序,芸術創作における創造的契機を重視し,ドイツ古典主義 (ウィーラント,ウィンケルマン,ヘルダー,ゲーテ) に影響を与えた。道徳哲学はイギリスでは F.ハチソン,J.バトラーに受け継がれ,フランスでは啓蒙主義 (ディドロ,ダランベール) に影響を与えた。主著『人間,風習,言論,時代の特徴』 Characteristics of Men,Manners,Opinions,Times (3巻,1711) 。

シャフツベリー(伯)
シャフツベリー[はく]
Shaftesbury, Anthony Ashley Cooper, 7th Earl of

[生]1801.4.28. ロンドン
[没]1885.10.1. ケント,フォークストン
イギリスの政治家。博愛主義者として著名。オックスフォード大学に学び,1826年下院議員となり,トーリー党に所属。産業革命による労働者階級の生活状態の激変に深い関心を寄せ,R.オーストラーと協力,工場法 (1833) ,炭坑夫保護法 (42) ,10時間労働法 (47) などの立法に貢献したほか,貧民学校設立に尽力。 47年以降ホイッグ党に転じ,51年爵位を継いで上院に入ったが,宗教団体の会員としても活動し,海外伝道などを支援した。

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百科事典マイペディア 「シャフツベリー」の意味・わかりやすい解説

シャフツベリー

英国の政治家。共和政時代は反クロムウェル派の中心。王政復古に尽力。1672年大法官となり爵位を受けたが,創成期のホイッグ党の首領として,政府の親カトリック政策を批判し免職。モンマス公の反乱に荷担して失敗,亡命地オランダで客死。哲学者ロックのパトロンとして知られる。

シャフツベリー

英国の政治家,人道主義者。オックスフォード大学卒業後,下院議員(1826年―1851年)となり,トーリー党に属して工場法(1833年)などの一連の労働保護立法制定に大きく貢献し,労働者階級の生活改善に尽力した。1847年以降ホイッグ党に転じ,爵位をうけて貴族院に移る。

シャフツベリー

英国の道徳哲学者,美学者。初代伯の孫。豊かな古典的教養をもとに,世界の調和を感得する美意識,徳性と一致する美的感覚こそが道徳の基礎であるとし,〈道徳感覚moral sense〉をその思想の中核に据えた。ヒューム,A.スミス,ディドロ,ヘルダーらへの影響大。主著《諸特徴》(1711年)。

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世界大百科事典(旧版)内のシャフツベリーの言及

【理神論】より

…したがってそれはヨーロッパ思想の中で,17世紀後半のイギリス名誉革命に始まる市民社会の発展と自然科学の興起に伴い,合理的な思弁の浸透によって従来の伝統的な国教会の教義を否認し,三位一体や啓示・奇跡を否定して聖書の象徴的・比喩的解釈を採用する異端としての神学を指す。 宗教を理性と調停するこの合理主義神学の信条は,最初17世紀の哲学者チャーベリーのハーバートHerbert of Cherbury(1583‐1648)によって定式化されシャフツベリー(三代伯)により狂信の排撃と批判の論拠として用いられたが,この主題が世間の注目を集めるに至ったのは,1696年にトーランドの《キリスト教は神秘的でない》の公刊に際して国教会の護教論者がこれに攻撃を加えたのを機に,いわゆる理神論論争が勃発したためである。この論争に登場した代表的な理神論者としては,《天地創造と同じく古いキリスト教》(1730)のティンダルMatthew Tindal(1653か57‐1733)や《自由思想について》(1713)のコリンズJohn Anthony Collins(1676‐1729),当時の大物政治家で文筆家たるボーリングブルックなどが知られる。…

※「シャフツベリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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