シュワルツコップ

百科事典マイペディア 「シュワルツコップ」の意味・わかりやすい解説

シュワルツコップ

ドイツのソプラノ歌手。シュワルツコップフとも。ドイツ人を両親に,現ポーランド領のヤロチンに生まれる。ベルリン高等音楽学校でアルトとして教育を受け,のちコロラトゥーラ・ソプラノに転向。1938年にオペラ初舞台を踏む。1942年のリサイタルでカール・ベームに認められて同年ウィーン国立歌劇場にデビューし,翌1943年同劇場と契約。徐々にリリック・ソプラノに転じ,モーツァルトやリヒャルト・シュトラウスの作品で高い評価を得た。第2次大戦中は,〈ナチスディーバ(女神)〉と呼ばれたこともある。1947年,イギリス国籍を取得。1949年ザルツブルク音楽祭,1951年バイロイト音楽祭に初出演。その後はリート歌手として声価を高め,フーゴ・ウォルフをはじめとするドイツ・リートに深い情感をたたえた名唱を披露。バリトン歌手フィッシャー・ディスカウと並ぶ名声を獲得した。1968年に初来日。1971年オペラから引退し,1976年ウィーンで最後のリサイタルを開く。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュワルツコップ」の意味・わかりやすい解説

シュワルツコップ
しゅわるつこっぷ
Elisabeth Schwarzkopf
(1915―2006)

ドイツのソプラノ歌手。ドイツ帝国内のプロイセン(現ポーランドのヤロトシン)の生まれ。ウォルター・レッグと結婚後、イギリス国籍取得。ベルリンで学び、1938年同地でデビュー。42年指揮者ベームに認められ、翌年からウィーン国立歌劇場でモーツァルトのオペラなどに多数出演、当初はコロラトゥーラ・ソプラノとして知られた。第二次世界大戦後は世界の主要歌劇場、音楽祭で活躍、51年にはベネチアストラビンスキーの『道楽者のなりゆき』の初演に加わった。ドイツ歌曲の解釈者としても優れ、シューベルトからウォルフに至る諸作品に、歌詞の情感を深く刻み込んだ解釈を樹立した。1968年(昭和43)以後のたび重なる来日や、カラヤン指揮のR・シュトラウス『ばら騎士』の映画により日本でも彼女の芸術は広く親しまれている。76年、演奏会活動を退く。レコード・プロデューサーの夫ウォルター・レッグとともに著した回想録『レコードうら・おもて On & Off the Record』(1982)がある。

[美山良夫]

『河村錠一郎訳『レッグ&シュヴァルツコップ回想録――レコードうら・おもて』(1986・音楽之友社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「シュワルツコップ」の意味・わかりやすい解説

シュワルツコップ
Elisabeth Schwarzkopf
生没年:1915-

ポーランド生れのドイツのソプラノ歌手。1938年ベルリン市立歌劇場に《パルジファル》の花の乙女でデビュー。しばらく端役を歌っていたが,42年にベームに認められて,《ナクソス島アリアドネ》を歌ってウィーン国立歌劇場にデビューし,その後メンバーになった。若いころにはコロラトゥーラ・ソプラノとして活躍したが,後には《ばらの騎士》でのマルシャリンのような役がらを歌って高い評価をえた。一方,ドイツ・リートを歌っても表現力に富んだ歌唱で名声を博した。オペラやリートの数多くのレコードを残している。76年にロンドンでの演奏会を最後に引退し,その後は後進の指導にあたっている。1968年に初来日した。
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