シラク(読み)しらく(その他表記)Jacques Chirac

デジタル大辞泉 「シラク」の意味・読み・例文・類語

シラク(Jacques Chirac)

[1932~2019]フランスの保守政治家。第22代大統領ジスカール‐デスタンミッテラン政権で首相を務め、パリ市長も兼務。のちに大統領に就任、2期務めた。在任1995~2007。→サルコジ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シラク」の意味・わかりやすい解説

シラク
しらく
Jacques Chirac
(1932―2019)

フランスの政治家。実業家の子としてパリに生まれる。国立行政学院(ENA)を卒業。1967年下院議員となり、1972年農相、1974年内相と要職を歴任した。1974年、彼を引き立てた大統領ポンピドーの急死後の大統領選挙ではジスカール・デスタン当選に多大の貢献をし、同年首相となった。他方、この年末にはドゴール派組織である共和国民主連合(UDR)の書記長に選ばれ、与党内の足場を確固たるものとした。1976年には大統領との意見の相違から首相を辞任するが、UDRを「共和国のための連合(=共和国連合RPR)」に改組してその指導者となり、1977年にはジスカール・デスタン派の候補を破ってパリ市長に選ばれた。1981、1988年の大統領選挙では18%の得票で落選。1986年3月の総選挙でRPRが保守第一党となり、パリ市長在任のまま、大統領ミッテラン(社会党)のもとで首相に就任し(1986~1988)、ミッテランとのコアビタシオン保革共存政権)を務める。1995年大統領に当選。2002年再選。2期12年間在任し、2007年5月16日の大統領任期満了に伴い退任。同年3月の時点で次期大統領選への不出馬を表明していた。対独協調路線をとり、アメリカ主導のイラク戦争反対。退任後の活動拠点として「持続可能な発展と文明間の対話のためのジャック・シラク財団」を設立。東洋文化、日本文化への造詣が深く、親日家。1996年(平成8)に国賓として来日したほか、公私にわたり頻繁に訪日。

[平瀬徹也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シラク」の意味・わかりやすい解説

シラク
Chirac, Jacques

[生]1932.11.29. パリ
[没]2019.9.26. パリ
フランスの政治家。首相(1974~76,1986~88),大統領(1995~2007)。フルネーム Jacques René Chirac。1954年パリ政治学院を卒業,1956~57年アルジェリアで軍務につき,1959年エコール・ナシオナル・ダドミニストラシオン ENAを卒業。国家公務員としてジョルジュ・ポンピドーのもとで頭角を現し,1967年国民議会議員選挙に出馬して当選。1972~74年農業大臣,1974年内務大臣を務める。1974年バレリー・ジスカールデスタン大統領のもとで首相に就任したが不和となり,1976年首相を解任された。同年末,共和民主連合 UDRを再編して共和国連合 RPRを創設。1977年パリ市長に当選。1981年の大統領選挙でフランス社会党のフランソア・ミッテラン敗北を喫したが,1986年の総選挙で保守陣営が国民議会の過半数を制して首相に就任,フランス政治史上初の保革共存政権(コアビタシオン)が誕生した。1988年首相辞任。1995年 3度目の大統領選挙を制して第五共和政第5代大統領に就任,2002年再選された。2003年ドイツ,ロシアとともにイラク戦争に反対してアメリカ合衆国との関係を悪化させた。2005年ヨーロッパ連合 EUヨーロッパ憲法制定条約批准国民投票で否決され,2006年雇用促進策として初期雇用契約 CPEの制定を目指したが,学生や労働者の反対で撤回を余儀なくされた。2007年政界を引退。親日家として知られる。

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百科事典マイペディア 「シラク」の意味・わかりやすい解説

シラク

フランスの政治家。パリ出身。国立行政学院卒。アルジェリア戦争に従軍後,会計検査官,ポンピドゥー内閣官房秘書官を経て,下院議員となる。農相や内相を歴任し,1974年にジスカール・デスタン大統領の誕生に貢献,同年首相となる。1976年大統領との意見の違いで辞任,同年共和国民主連合を保守・共和国連合に改組し,総裁就任。1977年パリ市長に当選。1981年大統領選挙に出馬するが,社会党のミッテランに敗退。しかし,1986年の総選挙で勝利し,再び首相(1988年まで)となる。1988年の大統領選で再びミッテランに敗れるが,1995年5月に社会党のジョスパン(のち1997年首相)を破り大統領に当選。就任まもなく,1992年以来ミッテラン大統領が凍結していた核実験を再開,6回にわたり強行。2002年の大統領選で再選。同年の憲法改正により大統領任期が7年から5年に短縮された。2007年5月,任期満了に伴い退任し,政界を引退した。
→関連項目国立行政学院フランスムルロア環礁

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シラク」の解説

シラク
Jacques Chirac

1932~

フランスの政治家で,ド・ゴール派の共和国連合の指導者。首相やパリ市長を務めた後,社会党のジョスパン候補を敗って大統領(在任1995~2007)に就任するや,核実験の再開や移民規制など,ナショナリストぶりを発揮するが,1997年の繰り上げ総選挙で大統領与党が敗北し,ジョスパン首相との第3次保革共存で軌道修正を余儀なくされた。2002年に国民戦線のルペン候補を敗って大統領に再選。ド・ゴール派内のヨーロッパ統合派。

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旺文社世界史事典 三訂版 「シラク」の解説

シラク
Jacques Rene Chirac

1932〜  
フランス大統領(在任1995〜  )
パリ生まれ。1974年,ド=ゴール派の組織である共和国民主連合(UDR)の書記長に就任。1981・88年の大統領選挙で社会党のミッテランに敗れたが,ミッテランの任期終了後の95年の選挙に当選,大統領に就任した。就任直後,国際世論の反対をおしきり,南太平洋ムルロア環礁沖で核実験を強行したが,その後は対外協調路線に転じた。

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世界大百科事典(旧版)内のシラクの言及

【アンドロメダ座】より

…西端のα星アルフェラッツ(ペガススの肩の意)は,実視等級2.1等,スペクトル型B8の白色の星で,ペガススの四辺形の一角をつくる。β星シラク(腰布の意)は2.2等,スペクトル型M0の赤色巨星である。γ星アルマク(大山猫の意)は連星系らしく2.3等,スペクトル型K3のそばに5.1等,スペクトル型A0の星がある。…

※「シラク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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