スカラ座(読み)スカラザ

デジタル大辞泉 「スカラ座」の意味・読み・例文・類語

スカラ‐ざ【スカラ座】

Teatro alla Scalaイタリアミラノにある国立歌劇場。1778年開場。こけら落としはサリエリオペラで、その後もロッシーニベルディプッチーニなどの著名な作品が多数上演されている。名称は、サンタマリア‐アラ‐スカラ教会の跡地に建てられたことから。

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精選版 日本国語大辞典 「スカラ座」の意味・読み・例文・類語

スカラ‐ざ【スカラ座】

  1. ( [イタリア語] Teatro alla Scala ) イタリアのミラノにある国立のオペラ劇場。一七七八年、聖マリア‐アラ‐スカラ教会跡に建設されたのでこの名がある。イタリアオペラの檜(ひのき)舞台として有名。

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百科事典マイペディア 「スカラ座」の意味・わかりやすい解説

スカラ座【スカラざ】

イタリアのミラノにあるオペラ界最高の殿堂。1778年開場。名称は聖マリア・アッラ・スカラ教会跡に建設されたことに由来。1879年以来,スカラ座管弦楽団によるコンサート活動も続けられている。第2次世界大戦中(1943年)空爆で焼失したが,1946年トスカニーニ指揮のコンサートで再開。ベリーニの《ノルマ》,ベルディの《オテロ》や《ファルスタッフ》,プッチーニの《蝶々夫人》などの数々のオペラがここで初演されている。トスカニーニは1898年以来,1929年まで3度芸術監督を務めて劇場の改革に貢献,第2次大戦後はカラステバルディデル・モナコらの歌手が黄金期を築いた。収容人数は3600。1981年,当時の音楽監督アバドと共に初来日。管弦楽団,合唱団のほか,オペラ博物館,バレエ学校なども備えている。→マスカーニ
→関連項目オペラ座カレーラスグリジシャリアピンジュリーニジーリチェケッティドミンゴノーマンパバロッティビシネフスカヤベリオポーギーとベスポンキエリミラノロス・アンヘレス

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改訂新版 世界大百科事典 「スカラ座」の意味・わかりやすい解説

スカラ座 (スカラざ)
Teatro alla Scala

イタリアの歌劇場。収容人数3600。1778年皇太后マリア・テレジアの下命により,ミラノのサンタ・マリア・アラ・スカラ教会の跡地に建設されたことから命名された。サリエリのオペラ《見知られたエウローパ》(1778)で幕を開けた。19世紀末から20世紀初めにかけて,ベルディの《オテロ》(1887)や《ファルスタッフ》(1893),プッチーニの《蝶々夫人》(1904)など今日イタリア・オペラの古典的名作とされる数々の作品がここで初演されている。1921年から29年までトスカニーニが音楽監督をつとめた。第2次世界大戦中(1943)空襲によって破壊されたが,46年には再建され,トスカニーニ指揮で演奏会を再開,現在にいたる。なお1913年に付属博物館が,また55年に室内歌劇用の小劇場ピッコラ・スカラが併設された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スカラ座」の意味・わかりやすい解説

スカラ座
すからざ
Teatro alla Scala

ミラノにあるイタリアを代表する歌劇場。聖マリア・アラ・スカラ教会の跡に建てられたため、この名称が与えられた。1778年8月3日、サリエリのオペラで開場、以来ロッシーニの『イタリアのトルコ人』、ベッリーニの『ノルマ』、ベルディの『オテロ』『ファルスタッフ』、ボイートの『メフィストフェレ』、プーランクの『カルメル派修道女の対話』など、今日に至るまで多数の優れたオペラが初演された。トスカニーニ、デ・サバータ、ルチアーノ・シャイー、ジュリーニ、セラフィンアッバードなど古今の優れた音楽家が芸術監督、音楽監督に迎えられた。現在の建物は、第二次世界大戦中の1943年の爆撃で著しく損傷したのち、46~48年にわたり再建されたもので、客席数3600。55年には古い作品や現代曲上演のための小劇場ピッコラ・スカラ(客席数600)が併設された。専属のオーケストラ、合唱団をもち、12月に始まるシーズンのほか、近郊都市、海外での公演も行う。1913年以来、付属の博物館が開設されている。81年(昭和56)に初来日。

[美山良夫]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スカラ座」の意味・わかりやすい解説

スカラ座[ロンドン]
スカラざ[ロンドン]
Scala Theatre

イギリスの劇場。 1772年キングズ・コンサート・ルームズの名称で開設された。その後プリンス・オブ・ウェールズ劇場 (1865~82) など,幾度か名前を変え,1905年スカラ座として開場。第2次世界大戦後はおもにクリスマス劇やアマチュア劇を上演したが,69年閉場,72年取りこわされた。

スカラ座[ミラノ]
スカラざ[ミラノ]
Teatro Alla Scala

イタリアの最も有名な歌劇場。 1778年の創建以後,幾度も改修されているが,現在の形は第2次世界大戦後の再建。規模内容,歴史ともに第1級の劇場であり,ベルディの『オテロ』,プッチーニの『蝶々夫人』など,多くの名作が初演された。小劇場と演劇博物館が付属する。

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世界大百科事典(旧版)内のスカラ座の言及

【オペラ】より

…ワーグナーの手で建設されたバイロイト祝祭劇場は,作曲家であり演出家でもあったワーグナーが,自分の理想を実現するために構想したもので,舞台とその後方に接続する大道具格納庫の巨大さが目を奪う。ミラノのスカラ座,ウィーン国立歌劇場,パリのオペラ座,ニューヨークのメトロポリタン歌劇場など,世界的に著名なオペラハウスは,いずれも目をみはるほど整備された舞台機構をもっている。一方,一幕物形式あるいは小規模なオペラを上演するためには,かえって小づくりな室内風のオペラハウスが適合する場合があり,ミラノのスカラ座に併設されたピッコラ・スカラ(小スカラ)は,その典型的な例である。…

【ミラノ】より

…ミラノの代表的新聞《コリエーレ・デラ・セーラ》は,依然として北イタリアで広く読まれているとはいえ,全国紙的傾向をもつようになってきている。 音楽におけるスカラ座,演劇におけるピッコロ・テアトロなどを通じて,舞台芸術においてもミラノは国際的な中心になっている。その他,美術の創作活動,ファッション産業などでも,ミラノは,他のイタリア諸都市とは違った独自の特色をもっている。…

※「スカラ座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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