日本大百科全書(ニッポニカ) 「スコット」の意味・わかりやすい解説
スコット(Ridley Scott)
すこっと
Ridley Scott
(1937― )
イギリスの映画監督。イングランド北東部サウス・シールズ生まれ。3人兄弟の次男で、弟のトニーTony Scott(1944―2012)も著名な映画監督である。家は祖父の代から海上運輸業を営んでいたが、第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)で父親が軍関連の仕事についたため、家族で転居を繰り返した。漫画と映画のファンで、絵を描くことが好きな少年だったスコットは、1958年、ダーラム県にあるウェスト・ハートルプール美術大学を卒業してグラフィック・デザインの教員免状を取得。さらにロンドン王立美術大学(RCA)に進学、グラフィック・デザインと舞台デザインを専攻した。この時期に映画熱も高まり、1961年、RCA内で偶然手にしたカメラで処女作となる16ミリの短編『自転車に乗った少年たち』Boys on a Bicycleを弟のトニー主演で製作。翌1962年にセット・デザイナーとしてBBCへ入社すると、ドラマからコメディ番組までさまざまな番組でスタッフとして働き、1963年には監督コースに移るものの、テレビ・ディレクターの仕事に限界を感じて退社。CM業界に転身するとまたたく間にその手腕を認められ、1965年にCM制作会社リドリー・スコット・アソシエーツ(RSA)を弟らとともに設立、後に映画監督となってからも、映画の仕事の合間にCM製作を行う基盤を築きあげる。
このころから、映画監督となる機会をうかがう時期がしばらく続いたが、版権獲得が自由な古典文学に題材を探すなか、ナポレオン支配下のフランスを舞台とするジョゼフ・コンラッドの短編に目をつけ、『デュエリスト 決闘者』(1977)として映画化、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞と新人監督賞に輝いた。同年『スター・ウォーズ』の世界的な大ヒットの影響もあって、SF嫌いだった彼のもとにハリウッドからSF大作を監督してほしいとの依頼が舞い込む。スコットは、フランスのコミック雑誌『ヘビー・メタル』Heavy Metalの雰囲気を再現する一方で、物語の鍵(かぎ)を握る怪物や宇宙船のデザインをスイスのアーティストH・R・ギーガーH. R. Giger(1940―2014)に依頼、さらに最終的に怪物と対決する主人公を女性に設定するなど、それまでのSF映画にない要素をビジュアル面やストーリー面に導入。こうして、1979年に公開された『エイリアン』は、他の監督によって次々と続編が撮られるヒット・シリーズとなったばかりか、その後のSF映画に多大な影響を及ぼす画期的な作品として興行的にも成功を収めた。
思いがけずSF映画の新たな旗手として脚光を浴びることになった彼の次回作は、SF文学の鬼才P・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』Do Android Dream of Electric Sheep?(1968)の映画化『ブレードランナー』(1982)である。物語としては古典的な犯罪映画のスタイルを踏襲するこの作品でスコットは、『メトロポリス』(1927)などの過去のSF映画の古典に敬意を表しつつ、2019年のロサンゼルスを創造すべく巨大かつ精巧なセットを建設、コンセプチュアル・デザイナー、シド・ミードSyd Mead(1933―2019)にデザインを依頼するなど、近未来世界の造形にエネルギーを注ぎ込む。その結果、スクリーン上に出現した近未来の大都会は、アジア的な装飾やネオン、群集に彩(いろど)られ、つねに酸性雨の降り注ぐ終末感漂う独創的なものとなった。しかし、興行的には惨敗、撮影現場での監督と俳優やスタッフ間の不協和音もいくつか伝えられた。そこで監督スコットに与えられたのは、俳優の演技以上に舞台装置やカメラ・アングルに情熱を傾ける「映像派」の監督としてのレッテルである。実際、俳優とセットや美術が対等に重要であると考えるスコットは、良くも悪くもセット・デザイナーとして出発したその経歴に忠実な映画監督だった。ただし、『ブレードランナー』とそこにつくられた近未来都市は、映画界のみならず建築や哲学などの異なる領域にも多くの信奉者を生み出し、当時流行のポスト・モダニズムを象徴するものと評価されたばかりか、ビデオがリリースされるとマニアックなファンを増殖させ、時代を画するカルト的作品としての地位を不動のものとする。なお、数年後におもに大阪で撮影された『ブラック・レイン』(1989)でも、規模は縮小されたが、似た雰囲気の都市が再現されていた。
続く『テルマ&ルイーズ』(1991)は、レイプ犯をはずみで殺害してしまった2人の女性が、大型車サンダーバード・コンバーチブルで逃走する過程でスーパー強盗などを行い、警察に追いつめられる、といった物語がアメリカ中西部の荒涼とした景観を背景に展開されるもの。それまでのスコット作品からかけ離れた内容だったが、予想をはるかに越えるヒットを記録した。当初はむしろ女性蔑視(べっし)と批判されることが危惧(きぐ)された物語だったにもかかわらず、完成した作品を見て観客はこれまでにないタイプのヒロイン像に喝采(かっさい)、日常的に女性が男性社会から受ける抑圧を巧みに描き出す作品として評価された。1992年のアカデミー賞でオリジナル脚本賞を受賞。スコットの演出家としての力量を評価する声も本作の成功をきっかけに高まる。
その後、「新大陸」到達500年を記念して製作された大作『1492 コロンブス』(1992)、女性差別の激しい海軍でエリート偵察部隊への訓練テストに挑戦する女性を主人公に『エイリアン』や『テルマ&ルイーズ』の再現をねらった『G.I.ジェーン』(1997)などを発表するが、いずれも期待外れの内容および興行成績に終わった。続くローマ帝国時代の剣闘士(グラディエーター)を主人公とする作品『グラディエーター』(2000)は、いつもどおりの卓越したデザイン感覚で再現された古代ローマの造形の見事さも手伝って彼にとって最大のヒット作となり、その年のアカデミー賞作品賞を含む六つの賞を制覇。名実ともにハリウッドの一流監督の仲間入りを果たした。
[北小路隆志]
資料 監督作品一覧
デュエリスト 決闘者 The Duellists(1977)
エイリアン Alien(1979)
ブレードランナー Blade Runner(1982)
レジェンド 光と闇の伝説 Legend(1985)
誰かに見られてる Someone to Watch Over Me(1987)
ブラック・レイン Black Rain(1989)
テルマ&ルイーズ Thelma & Louise(1991)
1492 コロンブス 1492 : Conquest of Paradise(1992)
白い嵐 White Squall(1996)
G.I.ジェーン G.I. Jane(1997)
グラディエーター Gladiator(2000)
ハンニバル Hannibal(2000)
ブラックホーク・ダウン Black Hawk Down(2001)
マッチスティック・メン Matchstick Men(2003)
キングダム・オブ・ヘブン Kingdom of Heave(2005)
それでも生きる子供たちへ~「ジョナサン」 All the Invisible Children - Jonathan(2005)
プロヴァンスの贈りもの A Good Year(2006)
アメリカン・ギャングスター American Gangster(2007)
ブレードランナー ファイナル・カット Blade Runner : The Final Cut(2007)
ワールド・オブ・ライズ Body of Lies(2008)
ロビン・フッド Robin Hood(2010)
プロメテウス Prometheus(2012)
『ポール・M・サイモン著、尾之上浩司訳『リドリー・スコットの世界』(2001・扶桑社)』▽『風間賢二編『フィルム・メーカーズ16 リドリー・スコット』(2001・キネマ旬報社)』
スコット(Sir Walter Scott)
すこっと
Sir Walter Scott
(1771―1832)
イギリスの詩人、小説家。8月15日、スコットランドのエジンバラで裕福な弁護士の子に生まれたが、幼時から病弱、1歳半のころ熱病にかかり、それが小児麻痺(まひ)を併発して、生涯右脚の自由を欠いた。早くからラテン語を学び、文学書に親しみ、12歳の若さでエジンバラ大学の古典学科に入学したが、2年目に病気中退。のち父の法律事務所で勉強して、21歳で弁護士となる。25歳のときの処女出版はドイツ語の翻訳。ナポレオン戦争に際しフランスの侵入に備えた騎兵義勇隊の幹部になったり、セルカーク州知事代理を務めたりの一方、スコットランドの民謡を収集して『スコットランド辺境歌謡集』3巻(1802~03)を編みもした。創作詩として最初のめぼしい作は『最後の吟遊詩人の歌』(1805)で、これで詩壇にも認められ、ロマン派復興の一翼を担うに至った。以後1813年ごろまでは彼の詩作時代で、13年桂冠(けいかん)詩人に任命されかけたが、友人のサウジーに譲った。物語詩『マーミオン』(1808)、同『湖上の美人』(1810)などが彼の詩作の代表作品である。
スコットが詩を捨てて小説を書き出した一つの理由は、そのころ一躍有名になったバイロンに敵しかねると自覚したことであった。小説としての第1作『ウェーバリー』は1814年匿名で出版、1745年の旧スチュアート王家復辟(ふくへき)を図った反乱の史実を背景にした歴史小説で、世の好評を得た。これに自信を得た作者は、以後死ぬまでに合計27編の長編小説を書き、それらは第1作の題をとって「ウェーバリー小説群」の総称でよばれている。全部が歴史小説といってよく、多くはスコットランドに材を求めているが、代表作とされる『ラマムアの花嫁』(1819。オペラ『ルチア』の原作)、『アイバンホー』(1819)、『ケニルワースの城』(1821)は純然たるイングランドの歴史に材をとった。この最後の作ではエリザベス1世と女王を取り巻く人々が活躍する。ほかに中世の十字軍に材をとった『護符』(1825)も異色作である。詩、小説を通じて、古い時代の武勇と恋愛の物語を中心とし、史実にはかならずしも拘泥せず、とくに小説では時代物的場面と世話物的場面とを巧みに織り交ぜて、複雑な変化に富んだ筋を展開するのが彼の独特な作風であり、それがまた彼の魅力でもあって、フランスなどでも広く愛読された。1832年9月21日没。
[朱牟田夏雄]
『朱牟田夏雄訳『世界文学全集6 ケニルワースの城』(1970・集英社)』▽『大和資雄著『スコット』(1955・研究社出版)』
スコット(Renata Scotto)
すこっと
Renata Scotto
(1934―2023)
イタリアのソプラノ歌手。サボーナ生まれ。1952年生地で18歳ながら『椿姫(つばきひめ)』の主役を務めてデビュー。翌年ミラノに登場、同年スカラ座と契約した。1957年にエジンバラ音楽祭で、マリア・カラスの代役としてベッリーニの『夢遊病の女』のアミーナを歌い、高く評価された。以来、ドニゼッティ、プッチーニ、ベルディ、グノーなどのオペラの主役を世界の主要歌劇場で歌っている。コロラトゥーラ・ソプラノとして出発しながら、リリックやドラマチックなソプラノの役を、よどみのないベルカント唱法と結び付けて歌い、レパートリーも広かった。
1967年(昭和42)NHKが招いたイタリア歌劇団に参加して初来日、ドニゼッティの『ランメルムーアのルチア』の主役で絶賛を博した。
[美山良夫]
『ピエール・マリア・パオレッティ著、南条年章訳『スカラ座の人』(1988・音楽之友社)』▽『ヘレナ・マテオプーロス著、岡田好恵訳『ブラヴォー/ディーヴァ――オペラ歌手20人が語るその芸術と人生』(2000・アルファベータ)』▽『Renata Scotto, Octavio Roca:Scotto;More Than A Diva(1984, Doubleday)』
スコット(Robert Falcon Scott)
すこっと
Robert Falcon Scott
(1868―1912)
イギリスの南極探検家。1882年海軍に入り、1901~04年、王立地理学会などの協賛によりディスカバリー号を指揮して南極を探検、エドワード7世ランドを発見した。功により帰国後海軍大佐に任ぜられた。10年テラ・ノバ号による第二次南極探検に赴き、11年ロス海から上陸、同年11月4人の隊員とともに南極点目ざして出発した。言語に絶する辛苦のすえ、12年1月18日ついに南極点に到達したが、すでに約4週間前ノルウェー人アムンゼンが到達した跡が残されていた。先陣争いに敗れ、失意の一行は、帰途悪天候と食糧不足に悩まされ、3月末全員凍死した。同年末、捜索隊により彼らの遺体やスコットの日記が発見された。
[松村 赳]
『チェリー・ガラード著、加納一郎訳『世界最悪の旅』(『世界ノンフィクション全集1』所収・1960・筑摩書房)』
スコット(Charles Prestwich Scott)
すこっと
Charles Prestwich Scott
(1846―1932)
イギリスの新聞人。サマーセットシャーに生まれ、オックスフォード大学を卒業。記者修業ののち、1872年、いとこの所有する『マンチェスター・ガーディアン』(1821年創刊、1855年から日刊、1959年からガーディアンと改称)の編集長となり、1905年その所有者となった。彼は「注釈は自由だが、事実は神聖である」というモットーを掲げて紙面内容の向上に努め、左派自由党系の独自の論調を展開して、純地方紙でありながら全国から注目される新聞にまで育て上げた。1895~1905年自由党下院議員として活動したが、1929年には経営者の地位を子に譲って引退した。
[伊藤慎一]
スコット(Sir George Gilbert Scott)
すこっと
Sir George Gilbert Scott
(1811―1878)
イギリスの建築家。バッキンガムシャーのゴーコット生まれ。ビクトリア朝の代表的なゴシック・リバイバリストで、1844年、ハンブルクのザンクト・ニコラス教会の設計競技に14世紀のドイツ・ゴシックのデザインによって当選し、国際的な名声を獲得した。イリイ大聖堂やウェストミンスター寺院をはじめとする多数の大聖堂、教区寺院の修復も手がけた。宗教建築以外の作例に、ロンドンのセント・パンクラス駅およびホテル(1865設計)やアルバート・メモリアル(1863~72)などがあげられる。著書に『個人的、専門的回想録』(1879)がある。
[谷田博行]
スコット(Duncan Campbell Scott)
すこっと
Duncan Campbell Scott
(1862―1947)
カナダの詩人。長く政府のインディアン行政に携わった。初期イギリス系カナダを代表する詩人で、洗練された西欧的教養と荒々しいカナダの原始との対立相克が、その作品に美しく結晶している。とくに詩集『新世界叙情詩とバラッド』(1905)のなかの「捨てられた人」は、インディアンの棄老習俗に基づく沈鬱(ちんうつ)にして鮮烈な詩編で、わが国の『楢山節考(ならやまぶしこう)』とも呼応する。ほかに『労働と天使』(1898)など10冊に近い詩集や二つの短編小説集などがある。
[平野敬一]