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チェコの作曲家,バイオリン奏者。プラハ音楽院に学び在学中より作曲を始め,後ドボルジャークの愛弟子となる。1892年チェコ四重奏団の第2バイオリンを受け持ち,西欧などで名声を得る。作曲の領域では師ドボルジャークの影響を強く受け,多数の器楽曲を書く。その作風は,同時代のヤナーチェクらと異なり,民族的で文学的内容は,初めのうち見られなかったが,後には,ポルカなどのジャンルで民族的方向をとるようになった。晩年にはロマン派的な和声や多調により,独自の作風となる。交響曲,交響詩,室内楽曲,ピアノ曲などを残している。プラハ音楽院ではマルティヌーらを教え,当時のチェコの音楽界で指導的役割を果たした。
なお孫にあたる同名のJ.スーク(1929-2011)はバイオリン奏者として名高く,1952年スーク三重奏団を組織,61年にチェコ・フィルハーモニーのソリストとなった。59年以来再三来日している。
執筆者:庄野 進
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チェコの作曲家、バイオリン奏者。音楽家の家系の一人で、同名の父からピアノ、バイオリンの手ほどきを受ける。1885年プラハ音楽院に入学、ベンネウィツAntonin Bennewitz(1833―1926)にバイオリン、ドボルザークに作曲、ウィーハンHanš Wihan(1855―1920)に室内楽を学ぶ。ウィーハン率いるボヘミア(チェコ)弦楽四重奏団に第2バイオリン奏者として参加、93年から4年間に4000回以上の演奏活動を行った。98年にはドボルザークの娘オティリエと結婚。1922年からプラハ音楽院の教授となり、その間4期院長も務めた。近代チェコ音楽の中心的存在であり、弦楽セレナード変ホ長調(1892)ほか多数の室内楽がある。なお、同名の現代バイオリン奏者は孫にあたる。
[船山信子]
チェコのバイオリン奏者。大作曲家ドボルザークの曽孫(そうそん)にあたる。生地プラハの芸術アカデミーで学ぶ。プラハ弦楽四重奏団、スーク三重奏団で室内楽奏者として名をあげたのち、1959年に独奏者として世界一周の楽旅を行い、成功を収めた。このとき初来日。以来チェコを代表するバイオリン奏者として知られた。またビオラ奏者としても一流であり、スメタナ弦楽四重奏団としばしば共演した。その演奏は華麗さを追求せず、楽器のもつ叙情性をあくまでも端正によみがえらせるのを特色としている。
[岩井宏之]
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…中庭にモスクを備えた例もある。(8)市場(バーザールbāzār,スークsūq)と浴場(ハンマームḥammām) 市場は,特定のプランをもたないが,通常,ボールトを架けた道路の両側に店舗を連ねたものである。モスク,マドラサ,公衆浴場,キャラバンサライなどがこれに隣接する場合が多い。…
…【藤井 せい子】
【イスラム社会】
イスラム世界において市はバーザールbāzārという名称で一般に呼ばれている。この語はペルシア語で,日本では慣用でバザールといい,アラビア語のスークsūqに相当する。 バーザールやスークは,定期市,常設店舗の連なる市場の双方を指すが,歴史的には定期市のほうが早く知られている。…
…以下,マグリブの中庭型住居を典型として考察しながら,他の特徴ある例も紹介していきたい。
[マグリブの中庭型住居]
マグリブ地方の旧市街〈メディナ〉は城壁に囲まれ,城内のわきにスークsūqと呼ばれる市場をもつ。スークは城壁内でもっとも低い所に立地し,一見迷路状にみえる道路はここに集まる。…
※「スーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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