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ソンツェンガンポ ソンツェンガンポSrong-btsan sgam-po

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ソンツェンガンポ
Srong-btsan sgam-po

[生]581
[没]649
古代チベットの王 (在位 629~649) 。中国史料には棄宗弄賛または弄贊と記される。チベット高原に分散割拠していた諸部族を統一し,吐蕃王国を建設した。初め東方のスムパ族と結び,吐谷渾 (とよくこん) 内部に親吐蕃勢力をつくり,634年に唐と国交をもったのち,吐谷渾を分裂させ,一部を併合した。 640年に文成公主を迎えて唐と親交を結び,制度,文化を受入れ,西部チベット (→羊同 ) を併合,ネパールを押えて王国の統一を完成した。この王のとき,唐,ネパールから迎えた2人の妃が仏教をもたらし,またチベット文字もこの頃整えられた。王の没後まもなく,宰相ガル・トンツェン (薛禄東贊) によって軍事国家の組織が整備された。

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デジタル大辞泉の解説

ソンツェン‐ガンポ(Sroṅ-btsan sgam-po)

[581?~649]古代チベット王国(吐蕃(とばん))を建設した王。チベット高原の諸族を初めて統一して国家体制を確立。妃としたネパールの王女との文成公主によって仏教が伝えられた。スロンツァン=ガンポ。

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大辞林 第三版の解説

ソンツェンガンポ【Sroṅ-btsan-sgam-po】

581?~649) 古代チベット(吐蕃とばん)の王。チベット高原を統一、ラサに都した。唐の太宗の娘文成公主とネパールの王女を妻とした。中国・インド両文化の摂取に努め、チベット文字を制定したという。スロンツァン=ガンポ。 〔中国文献では「棄宗弄讃」と書かれる〕

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ソンツェンガンポ
そんつぇんがんぽ
Srong btsan sgam po
(581?―649)

古代チベット王国(吐蕃(とばん))を統一支配し、のちに観音(かんのん)の化身と称された王(在位?~638、643~649)。正式名はチソンツェン(棄宗弄讃)王であり、毒殺された父ナムリルンツェンにかわってチベットを統一し、6種の大欽定(きんてい)法を定めて国内の統治制度を確立した。吐谷渾(とよくこん)などにも支配の手を伸ばし、ついに唐と対峙(たいじ)するに至るなかで、名宰相ガル・トンツェン・ユルスン(禄東賛)が活躍した。のちにトゥルナン寺(大昭寺)を建立したネパール王女ティツゥンKhri btsanらを妃(ひ)とした。また634年には初めて唐に使節を送り、公主との婚姻を求めたのに対し、640年には文成公主が王の長子に降嫁して、長子の没後に王と再婚し、ラモチェ寺(小昭寺)を建立している。後代の伝承では、この王を仏教導入の立役者とするが、史実とは認めがたい。国家統一と、位階や刑法の制定など大欽定法に代表される国家統治に大きな業績を残し、以後の王国発展の基礎を築いた。[原田 覺]

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