タリバーン

百科事典マイペディア「タリバーン」の解説

タリバーン

アフガニスタンのゲリラ勢力。名は〈学生〉〈求道者〉を意味する。アフガニスタン戦争のためパキスタン北西部に逃れたパシュトゥーン人難民のうち,イスラム神学を学んだ学生を中心とする。イスラム復興主義を掲げ,アフガン・ゲリラ各派の抗争に終止符を打つとして,1994年秋に突如としてアフガニスタンに侵攻,またたくまに南部,東部を中心に同国の大部分を制圧した。1996年9月に首都カブールを制圧すると,かつて共産党政権を率いたナジブラを処刑し,女性にヒジャーブ(顔をかくす着衣,ブルカとも)の着用を義務づけるなど,その強硬な政策が波紋を招いている。神学的にはパキスタンのイスラム法学者協会の影響下にあるとみられ,パキスタンの資金援助を受けているとされた。2001年9月の米国における〈9.11事件〉(同時多発テロ)後,タリバーンおよび中東諸国からのアフガン義勇兵組織アル・カーイダ(基地の意)がその主謀者をかくまっているとする米英軍などの攻撃により,当時の主力部隊は壊滅した。しかし,同年12月,フガニスタン暫定行政機構が国連の仲介によって発足し,2004年に米国の後押しでカルザイ政権が誕生したのちも,アフガニスタン南部ではタリバーンの実効支配はつづき税金の徴収,徴兵,学校の教育の強制,シャリーアに基づく刑罰の執行などを行なっている。2015年4月時点でも首都をはじめ非実効支配地域でのテロ活動・戦闘活動を続けている。
→関連項目アフガニスタンウサマ・ビン・ラディングアンタナモタジキスタンパキスタン東トルキスタンイスラム運動ブッシュボコ・ハラム

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知恵蔵「タリバーン」の解説

タリバーン

アフガニスタンのイスラム原理主義勢力。タリバーンの名前は、イスラム神学生(タリブ)の複数呼称。1994年秋ごろに現れたパシュトゥン人の新興勢力。最高指導者はムハマド・オマル師。内戦を戦っていた旧ゲリラや軍閥各派の腐敗体質を批判して登場し、「世直し集団」として地方の村で住民の支持を得るようになった。アフガニスタンの安定を狙った隣国パキスタンの軍部から支援を受け、96年9月に首都カブールを制圧したが、その後も北部を拠点にするタジク人ら中心の北部同盟との間で内戦を続けた。厳格なイスラム原理主義を掲げ、男性にはひげとターバンの着用を迫り、女性には表立って働いたり、教育を受けたりすることを禁じたため、国際社会の批判を浴びた。2001年9月11日に米国の世界貿易センターなどが襲われた同時多発テロの黒幕オサマ・ビンラディンをかくまい、テロ組織アルカイダに拠点を提供した。同年10月に米軍の空爆を受け、11月に首都から撤退した。同年12月のカルザイ政権樹立後も南部を拠点に反政府ゲリラ活動を続けている。

(竹内幸史 朝日新聞記者 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル大辞泉「タリバーン」の解説

タリバーン(Taliban)

《「タリブ(イスラム神学生)」の複数形。「タリバン」「ターリバーン」とも》アフガニスタンイスラム原理主義者による武装集団。1996年首都カブールを占領して内戦後のアフガニスタンを支配。偶像崇拝を排斥する立場から同国バーミヤン石仏を破壊した。2001年のアメリカ同時多発テロの指導者ビンラディンをかくまったとして米軍の攻撃を受け、同年11月に政権は崩壊した。2006年ころから再び攻勢を強めている。→アルカイダ

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