ベトナム中部最大の商業都市。南シナ海に面する海岸の美しさで知られる国際的なリゾート都市で、日本からの観光客も多い。ベトナムが中国と領有権を争う南シナ海・西沙(英語名パラセル)諸島に近い軍事要衝としての役割もある。近郊には朱印船貿易時代の日本との交易拠点で、美しい町並みで知られる世界遺産のホイアンもあり、ダナンを拠点に観光を楽しむ人も多い。(ダナン共同)
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ベトナム中部の港市。人口45万9400(2004)。南シナ海に臨み,フランス植民地時代の旧名はトゥーラーヌTourane。フエの南東80kmに位置する。北のホンソンチャ岬,南のダナン半島とに抱かれたダナン湾の奥にある港で,カムレ川の河口にもあたる。古くからアンナン海岸の良港の一つとして知られ,フランスの中部ベトナム侵略に際してはまっさきに占領された港である(1858)。気候的には11~3月の北東モンスーン期はしのぎやすいが,あとの月は暑く,特に4~5月は酷暑となる。この辺はベトナム族の南下以前はチャム族の居住地であったため,市内にはその遺物を収集した博物館がある。また近世初期には朱印船で日本人も多く立ち寄り,郊外の五行山の寺院には当時ここを訪れた日本人の名も見られる。ダナンはその戦略的価値のためフランス植民地時代から軍港とされたが,ベトナム戦争に際してはアメリカ軍の一大基地と化し,市の人口も一時的に大きく膨張した。今はベトナム中部の主要商港の一つである。なお南方25kmのフェイフォは17世紀初めに日本人町が栄えた所として知られ,ダナンからは内陸水路で通じている。
執筆者:別技 篤彦
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ベトナム中部の港湾都市。南シナ海に突出するトゥーラン岬に囲まれたダナン湾奥のカムレ川河口左岸に位置する。旧称トゥーランTourane。人口45万2700(2003推計)。16~17世紀には交易都市として知られ、日本の朱印船も往来し日本人町もつくられた。1787年、当時のアンナン王国からフランスに割譲され、以後軍港として発展した。ベトナム戦争中は南・北ベトナムの軍事境界線に近かったため、アメリカ軍の大軍事基地となり、人口が急増し、1974年には60万を数えた。現在はベトナム中部の主要商港の一つとなっている。国道1号線とハノイ―ホー・チ・ミン市間の鉄道が通じる。付近にはチャム人の遺跡が多く、チャム人の遺物を収集した博物館もある。
[菊池一雅]
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