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ダラディエ ダラディエ Daladier, Édouard

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダラディエ
ダラディエ
Daladier, Édouard

[生]1884.6.18. カルバントラス
[没]1970.10.10. パリ
フランスの政治家。 1919年下院議員。 24年植民地相,以後公共事業相,陸相を歴任。 33年首相兼陸相,34年首相兼外相。急進社会党左派首領として 35年人民戦線結成に参加。 36~37年副首相兼国防相,38~40年首相。

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デジタル大辞泉の解説

ダラディエ(Édouard Daladier)

[1884~1970]フランスの政治家。急進社会党総裁。1933、1934年首相。1935年、人民戦線内閣に参加。1938年に再度首相となり、ミュンヘン協定に調印。大戦勃発後辞任。

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百科事典マイペディアの解説

ダラディエ

フランスの政治家。急進社会党左派に属し,軍事通で,3度内閣を組織,陸相,外相等も歴任。人民戦線結成に参加したがミュンヘン会談ヒトラーに屈した。第2次世界大戦中はビシー政府によって逮捕され,ドイツに移送。

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世界大百科事典 第2版の解説

ダラディエ【Édouard Daladier】

1884‐1970
フランスの政治家。歴史学の教師から政界に入り,急進社会党総裁。1933年首相。翌年1月にも首相となったが,二月六日事件(極右派の暴動)で辞職。35年には人民戦線への急進社会党の参加を推進し,歴代人民戦線政府では陸相をつとめた。38年には首相としてミュンヘン協定に調印。40年3月,フィンランド支援に失敗して辞職した。休戦後ビシー政府に捕らえられ,戦後,第2次制憲議会で返り咲いた。【山極 潔】

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大辞林 第三版の解説

ダラディエ【Édouard Daladier】

1884~1970) フランスの政治家。1933、34年に続き再度首相となった38年、ミュンヘン協定に調印、40年ビシー政府に逮捕される。57年、急進社会党党首。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ダラディエ
だらでぃえ
Edouard Daladier
(1884―1970)

フランスの政治家。リセの歴史学教授から政界に入り急進社会党の領袖(りょうしゅう)となる。閣僚を歴任したのち、1933年と1934年の二度にわたって首相となったが、スタビスキー疑獄を口実とする右翼騒擾(そうじょう)事件(いわゆる2月6日事件)で多数の死傷者を出した責任を問われて退陣した。その後、党内で人民戦線支持を明らかにして1936年党総裁に選ばれた。人民戦線諸内閣で陸相を務めたのち、1938~1940年首相を務め、その間の1938年9月ミュンヘン協定に調印し盟邦チェコスロバキアを見殺しにした。ビシー時代には対独敗戦の責任者として裁判にかけられたが、勇敢に第三共和政を弁護して裁判中止に追い込んだ。戦後ふたたび急進社会党総裁を務めた。[平瀬徹也]

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世界大百科事典内のダラディエの言及

【急進社会党】より

…フランスの政党。正式には急進共和・急進社会党Parti républicain radical et radical‐socialisteといい,急進党とも略称される。1901年6月23日,共和主義改革大行動委員会が組織した大会で急進主義の諸グループを結集して成立。議員グループという枠をこえて組織されたフランスで最初の国民的政党として,第三共和政期に重要な役割を演じた。地方の小ブルジョアジーを基盤とする急進党は,フランス革命の遺産を継承して共和制の枠内で漸進的進化を行うことをうたい,教育改革と国家の非宗教化に力点を置いたが,私有財産制擁護の立場から,社会主義とりわけ共産主義とは対立し,しばしば右翼・穏和派の政府に参加した。…

【スタビスキー事件】より

…ロシア生れのユダヤ人スタビスキーSerge Alexandre Stavisky(1886ころ‐1934)がひきおこしたフランスの疑獄事件。1933年12月末,バイヨンヌの公設質屋を舞台とするスタビスキーの詐欺事件が報道され,時の植民地相ダリミエら数人の政界人やジャーナリストが事件に関係していることが判明した。この詐欺事件そのものはそれほど大規模なものでもなく,直接の被害者も保険会社などの法人で大衆ではなかったが,大不況という状況のもと,事件を議会主義と急進社会党政府に対する攻撃材料に利用しようとするアクシヨン・フランセーズの扇動は功を奏し,34年1月末,事件の処理を誤ったショータン政府を倒壊させた。…

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