ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チェコスロバキア史」の意味・わかりやすい解説
チェコスロバキア史
チェコスロバキアし
ようやく 19世紀中頃に民族意識が覚醒,経済的,文化的に大いに興り,第1次世界大戦によってオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊したのち,スロバキアと結んで独立を達成した。第1次,第2次世界大戦間はトマーシュ・ガリク・マサリク大統領の指導下に議会制民主主義が定着したが,1930年代後半スロバキア人,ドイツ人らの民族問題,ナチスの外交攻勢など内憂外患が一度に起こり,1938年のミュンヘン会談によって事実上崩壊した。第2次世界大戦中はボヘミア=モラビア保護領,スロバキア共和国に分割されて,ドイツの直接間接の支配を受けたが,1945年ソビエト連邦軍によって解放され,エドゥアルト・ベネシュの指導下に議会制民主主義が復活した。しかし,1948年チェコスロバキア共産党のクーデターによって一党独裁体制が確立,ソ連圏に組み入れられた。ようやく 1963~68年にスターリン主義体制に反対する改革運動(→プラハの春)が盛り上がったが,ワルシャワ条約機構軍の武力介入(→チェコ事件)によって挫折。共和国の連邦化が唯一の成果となったが,その後「正常化」と呼ばれる反民主的体制が続いた。1989年のビロード革命によって共産主義体制は放棄されたが,チェコとスロバキアの経済格差が遠因となり,スロバキア人の民族主義が再燃。両共和国の交渉により,1993年1月,連邦は解消され,分離・独立した。(→スロバキア,チェコ)
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