ロシアの数学者。貴族の出身で、幼時から家庭教師につき、フランス語を得意としていた。1841年モスクワ大学を卒業し、「方程式の根の計算」という研究発表で銀メダルを受けた。1846年修士の学位をとってペテルブルグ大学に移り、ここで一生を過ごした。1849年合同論についての博士論文を発表した。このなかでπ(x)をxより小さい素数の個数としたとき、不等式
が成立することを示した。1850年には「ベルトランの予想」、つまり「nが3より大きい自然数のとき、nと2n-2の間に素数が存在する」を証明した。いずれの証明にも解析学を用いており、解析的数論の創始者の一人になった。1860年代になって確率論の研究をはじめ、チェビシェフの不等式や中心極限定理を出し、確率論でのペテルブルグ学派をつくった。また工学的な機械をつくる過程でチェビシェフの多項式を発見し、現在の最良近似論の基礎を確立した。
[井関清志]
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ロシアの数学者。ペテルブルグ大学教授。1841年モスクワ大学を卒業。43年以後,多重積分,テーラー級数など解析学における研究成果を発表した。47年よりペテルブルグ大学で代数学および数論の講義を始め,また素数分布についての研究を行い業績をあげた。49年数論の研究で学位を取得。50年代には,関数の近似について大きな貢献をしたが,そこに現れたチェビシェフの多項式は有名である。彼はまた代数関数の積分法においても多くの成果を得ている。これらの業績により,59年にはペテルブルグ科学アカデミーの最高位が与えられた。60年ころからの確率論における業績はことによく知られ,大数の法則の一般化,中心極限定理の詳しい取扱いなどがあるが,そこではチェビシェフの不等式が重要な役割を果たしている。70年には計算器械を考案するなど工学上の発明もある。
執筆者:飛田 武幸
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