チエンマイ(英語表記)Chiang Mai

改訂新版 世界大百科事典 「チエンマイ」の意味・わかりやすい解説

チエンマイ
Chiang Mai

タイ北部にある同名県の県都。都市域人口39万0445(2002)。メナム川チャオプラヤー川)の支流ピン川に沿って開けた盆地の中央に位置し,北部地方最大の都市で,行政,経済,文化中心地である。タイの最高峰インタノンが西方にそびえている。周辺の山地の集水面積が広いため,盆地の中央部では水は豊富であり,古くから集約的な土地利用が行われてきた。稲の二期作,タバコ,大豆,ニンニク,ゴマなどの畑作や,リュウガン,レイシなどの果樹栽培も古くから発達した。周辺の山地に産するチーク材は19世紀後半から重要な輸出品であったが,現在では産出量は少なくなった。またウルシの産出は,チエンマイの伝統産業である漆工芸の発達をもたらした。チエンマイは,タイ・ユアン族のマンライ王が,モン族のハリプンジャヤ(ハリプンチャイ)王国を奪取して開いたラーンナータイ王国の王都として1296年に建設された。この王国は16世紀中葉からビルマ(現ミャンマー)の支配下におかれたが,18世紀末には再び独立し,20世紀初頭にシャム王国(現在のタイ国)に併合されるまで存続した。住民はタイ・ユアン族を中心とするタイ系民族で,タイ中部のシャム族や東北部のラオ族などとは異なった独自の文化を保持している。
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百科事典マイペディア 「チエンマイ」の意味・わかりやすい解説

チエンマイ

タイ北部の古都。チャオプラヤー川上流の支流ピン川に臨む盆地に位置し,気候はしのぎやすい。米,タバコ,サトウキビ,チーク材などの集散加工が行われる。絹織物銀細工,漆工芸,絵傘など伝統工芸品の生産も盛ん。史跡にも恵まれた観光名所で,タイ北部の中心都市。2月の花祭,4月の水かけ祭,11月のローイ・クラトン祭は有名。1296年ランナータイ王国の主都として創設。1556年ビルマ人の侵入で破壊され,18世紀以降タイの支配下に入った。37万9391人(2006)。
→関連項目アユタヤ朝タウングー朝

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世界大百科事典(旧版)内のチエンマイの言及

【タイ・ビルマ戦役】より

…戦争はビルマの遠征軍をタイが迎撃する形で起こされる事例が多いが,ナレースエン王のようにタイからビルマに攻めこんだ場合もある。ビルマ王の目的の一つは,白象や金銀などの財宝,職人や奴隷などの労働力の獲得にあったと考えられるが,タイ北部のチエンマイ,南部のマレー半島部における領土争奪も,戦争の重要な原因をなしたと思われる。最も著名な戦争にバインナウン王のアユタヤ攻略(1569),ナレースエン大王のビルマ遠征(1594,99),アラウンパヤー王およびシンビューシン王によるアユタヤ再攻略(1760,67)がある。…

【東南アジア】より

…歴史的にみると,こうした谷筋や盆地には,12~13世紀ころからこの灌漑移植法による稲作に立脚した王国が栄え出すようである。例えば14世紀ころのチエンマイ盆地(タイ北西部)の景観は次のようなものであったと想像される。盆地の中央には城壁に囲まれた王城があり,それをとりまいて仏教寺院と市場がある。…

【マンライ】より

…モン族の王ジーバーは逃亡し,ハリプンジャヤは滅んだ。マンライは96年ハリプンジャヤの北20kmのピン河岸に都を建設し,チエンマイと呼んだ。チエンマイは北部タイのタイ族の部族国家を統合したラーンナータイ王国の首都となった。…

※「チエンマイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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