イギリスの詩人バイロンの長編物語詩。「遍歴」は「巡礼」または「世界歴程」とも訳されている。第1、2編は1812年、第3編は16年、第4編は18年刊。1809~11年の地中海旅行を背景に、いわゆるスペンサー詩型で書かれた初期の代表作。「かつてアルビオンの島に住んだ」貴公子ハロルドは、歓楽の生活に倦怠(けんたい)を覚え、異国の地を次々と巡礼する。セビーリャの古い街に、地中海の船旅に、またアルバニアの奥地民族との交歓や、ベルギー、アルプスの遍歴などを通して、青春の情熱に胸をうずかせ、生の倦怠に悩みつつ、自由にあこがれる青年ハロルドの姿は、その異国情調と相まって、詩人を一躍時代の寵児(ちょうじ)たらしめた。
[上田和夫]
『田吹長彦編『チャイルド・ハロルドの巡礼 注解』第1~3編(1993~98・九州大学出版会)』▽『東中稜代訳『チャイルド・ハロルドの巡礼 物語詩』(1994・修学社)』
イギリスの詩人バイロンの物語詩。全4巻。1812-18年刊。1,2巻(1812)は,人生の快楽にあきた貴公子が〈いやされぬ心の傷〉を抱いて地中海諸国をさまよい,異国の風光と歴史にふれてつづった放浪詩である。憂愁の美あふれるこの詩集で,バイロンは一夜でヨーロッパの知名詩人となった。しかし妻との離別のあと永久にイギリスを離れた詩人の遍歴の3,4巻(1816,18)は,いっそう奥深い真実の魂の叫びを伝えている。〈千年の歴史が翼をひろげていた〉とうたうベネチアの〈嘆きの橋〉や,〈わがふるさと,魂の都〉とうたう〈ローマ〉,それに故国への別れの歌〈大洋〉は,胸にひびく名作である。土井晩翠《東海遊子吟》(1906)は,《チャイルド・ハロルドの遍歴》から構想を得ている。
執筆者:松浦 暢
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…しかし,彼は支配権を確立する過程で,この地方のギリシア人,アルバニア人を圧迫し,また当時強力に中央集権化を進めていたオスマン帝国のマフムト2世の政策と対立したため,フルシト・パシャを総司令官とするオスマン軍団に攻められて戦死した。晩年,国際的にその名を知られた彼の“東洋的”な生活ぶりは,イオアニナを訪れたバイロンの出世作《チャイルド・ハロルドの遍歴》に主題の一つを提供した。彼の死後に残された200以上の農場(チフトリキ)を含む莫大な遺産は,オスマン王家に没収された。…
…同年,2年にわたる地中海諸国への旅に出発。その成果は,一夜にして彼を文壇のアイドルにした《チャイルド・ハロルドの遍歴》第1,2巻(1812)の出版だった。当時のペシミズムの風潮を象徴する憂鬱な貴公子のデビューは衝撃的だった。…
※「チャイルドハロルドの遍歴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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