ティマール(英語表記)Timâr

  • timār

世界大百科事典 第2版の解説

建国から16世紀末にいたるオスマン帝国の国家と社会とを規定した軍事封土制。軍事封土は,その規模に応じて,ティマール,ゼアメトzeamet,ハスhasとよばれるが,これらを総称してティマール制とよぶ。セルジューク朝マムルーク朝などのイクター制の系譜を引き,ビザンティン帝国のプロノイア制の影響を受けている。ティマールの語源についてはペルシア語説などがあるが,定説はない。 内陸アジアから移住したトルコ族によって13世紀末に建国されたオスマン帝国は,16世紀前半までに,西アジア(イランを除く),北アフリカ,バルカン半島の大部分を征服・併合した。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

オスマン帝国で実施された,シパーヒー(騎士)に与えられた保有地
シパーヒーは保有地の徴税権を行使し,農民に対する支配権はもたない。また,シパーヒーは,戦時には保有地の大小に応じて従士を連れて参加した。イクター制と同様,軍事封建制と訳されている。また,これが転用され,軍務以外の官職に対して俸給として与えられた。

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世界大百科事典内のティマールの言及

【イクター】より

…次のマムルーク朝(1250‐1517)でも,イクター制は国家と社会を規定する基本制度として機能し続け,軍隊制度の整備に伴って軍人の位に応じたイクター授与の体系化が著しく進んだ。オスマン帝国(1299‐1922)では規模の大小に応じてハースhas,ゼアーメトzeamet,ティマールの3種の土地分与が行われたが,イクターと同じ性格の土地はシパーヒー(騎士)が保持する比較的小規模のティマールであった。しかしティマール制は16世紀中ごろには早くも解体への兆しを見せ始め,またエジプト・シリアでも,17世紀半ばにはティマール制からイルティザーム(徴税請負)制への全面的な切替えを余儀なくされるにいたった。…

※「ティマール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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