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デメトリオス[1世] Dēmētrios I

世界大百科事典 第2版の解説

デメトリオス[1世]【Dēmētrios I】

前187‐前150
シリア王国の王。在位,前162‐前150年。セレウコス4世の次子。アンティオコス4世の代理の人質としてローマにおかれていたが,前162年脱出帰国し,従弟にあたるアンティオコス5世を殺して王位についた。ローマの支持を得た将軍ティマルコスの反乱を制圧(前160),ユダヤの鎮静化にも成功したが,その有能さは諸国の不安をつのらせ,ローマ,ペルガモン,エジプトの意を体して王位をうかがうアレクサンドロス・バラスAlexandros Balasと戦って戦死した。

デメトリオス[1世]【Dēmētrios I】

前337?‐前283
マケドニア王。在位,前294‐前287年。アンティゴノス1世の子。〈ポリオルケテス(攻城者)〉と称される。父と共にアレクサンドロス大王の遺領統一支配をめざし,他のディアドコイと争う。エジプトのプトレマイオス1世との海戦に勝ち,エーゲ海を制して王号を称した(前306)。父の死後もギリシアに勢力を保ち,マケドニア王カッサンドロスの死後その子らの争いに乗じてマケドニア王となったが,エペイロス王ピュロスらに追われ小アジアに逃れ,シリア王セレウコス1世に軟禁され死んだ。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のデメトリオス[1世]の言及

【アンティオコス[7世]】より

…在位,前139か138‐前129年。デメトリオス1世の次子。パルティアの捕虜となった兄デメトリオス2世のあとを襲って即位。…

【アンティゴノス朝】より

…前306‐前168年。アンティゴノスとその子デメトリオス1世がアレクサンドロス帝国の版図を彼らの支配下に置こうとした野望は前301年イプソスの敗戦により挫かれた。アンティゴノス1世の孫アンティゴノス2世はマケドニアに王朝を確立。…

【ディアドコイ】より

…大王の死後将軍たちの間に,帝国の統一支配を目ざすか,自己の領域支配を目ざすかの対立が生まれた。帝国宰相ペルディッカスの統一支配強行に対する反発(前321)にはじまる抗争は,大王の近親をふくむ多くの権力志向者の命を失わせ,結局エーゲ海を制圧し王を称したアンティゴノス1世デメトリオス1世父子に対する,エジプト,トラキア,バビロニア,マケドニアをそれぞれ基盤とするプトレマイオス1世リュシマコスセレウコス1世,カッサンドロスKassandros連合軍の勝利となって終わる(前301)。しかしデメトリオスはカッサンドロスの死後マケドニア王となるが,前287年リュシマコスに追われる。…

【マケドニア】より

…そしてフィリッポス2世の娘テッサロニケTessalonikēと結婚していたカッサンドロスはマケドニア王と称するに至った(前304)。 彼の死後(前298)その子らの王位争いに乗じ,大王の遺将で最初に王号を称したアンティゴノス1世の子で,かつてアテナイをカッサンドロスと争ったデメトリオスがマケドニア人に推されて王となった(マケドニア王としてデメトリオス1世。在位,前294‐前287)。…

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