精選版 日本国語大辞典 「セレウコス朝」の意味・読み・例文・類語
セレウコス‐ちょう ‥テウ【セレウコス朝】
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ヘレニズム時代にシリア王国を代々支配した王朝。前305-前64年。創立者はセレウコス1世。広大な領土を得て出発したが支配は安定せず,初期のセレウコス1世,アンティオコス1世より後はしだいに弱体化,アンティオコス3世,4世の治世に一時勢威をとりもどしたが,状況は再び悪化し,デメトリオス1世,アンティオコス7世による最後の努力が潰えて以後は,まったくの衰微混迷におちいった。歴代の王はアポロンの後裔と自称し,貨幣の意匠にしばしばアポロンの像を採用,またデルフォイ,デロス島,ディデュマなどの著名なアポロン神殿に奉納寄進をしている。王を神として崇拝させることは,おそらくアンティオコス1世のときに始められ,アンティオコス3世のとき王国全体で実施されるようになったらしい。エジプトのプトレマイオス朝や小アジアの諸王朝とさかんに婚姻関係を結び支配を安定させようとしたことも注目される。
→シリア王国
執筆者:大戸 千之
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前312頃~前63
セレウコス1世によって創建されたシリア王国の王朝。第4代セレウコス2世(在位前246~前225)以後は第6代アンティオコス3世,第8代アンティオコス4世などの努力もあったが,内紛と外患のために,王国は勢いを欠き,衰退の道をたどった。前63年の王国滅亡とともに王朝は第26代フィリポス2世(在位前65~前63)をもって終わった。
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…対外的には海上支配を追求し,またシリア王国とは国境紛争を繰り返したが,ローマとは友好関係を維持して諸王国中で最も長く独立を保った。 シリア王国ではセレウコス朝諸王が,多民族構成の広大な領域を,属州方式と都市建設によって有機的に統合しようとしたが成功せず,前3世紀半ばには東方辺境の植民ギリシア人がバクトリア王国を独立させ,同じ頃イラン系のパルティア人(パルティア)も自立して,王国の東方領域は急速に失われた。また小アジア西部ではアッタロス家のペルガモン王国が成立し,ユダヤ人も前2世紀半ばのマカベア戦争で独立して,支配範囲はさらに縮小した。…
※「セレウコス朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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