フランスの物理学者,科学哲学者,科学史家。フランス語の発音習慣に従えばデュアンと表記すべきかもしれないが,今日国際的にもほぼデュエムで通用する。科学史,科学哲学という学問分野が成立するうえで,最も重大な影響をもち,両分野で現在でさえ新鮮な内容の著作を数多く残し,さらに物理学上の仕事も無視できない。パリに生まれ,高等教育以前すでに,古典語,歴史,さらに科学技術に対する関心と,抜群の能力を示し,結局カトリック信仰を重んじる意向から人文系中心のエコール・ノルマル・シュペリウールへ進学した。しかし台頭中の熱力学に深い興味をもち,在学中この分野で早くも大家P.E.M.ベルトロを批判する論文を書き,博士論文は別に数学的色彩の強い電磁気学のテーマで提出,受理された(1888)。ベルトロ批判がたたってパリで職を得られず,リール,レンヌ,ボルドーなどの諸大学を経て,晩年はコレージュ・ド・フランスの科学史教授。
科学史家としてのデュエムは,中世文献の解読という実証的方法によって,ラテン中世を科学の宝庫としてとらえ,〈暗黒の中世〉観を正す出発点を作った。この分野の主著は一部死後出版の大著《世界の体系》10巻(1913-59)や,《レオナルド・ダ・ビンチ研究》3巻(1906-13)で,近代科学の源流を13世紀以降のラテン中世に求めるという今日の科学史記述法はこれらに発する。科学哲学では,主著《物理学理論の目的と構造》(1906)において,物理学理論と科学的認識の関係を分析し,経験的データの理論負荷性,決定実験の不可能性など,今日のこの分野の中心的課題となる問題に先駆的な考察を行っている。
執筆者:村上 陽一郎
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… 次にこうして集積されたデータを基にして,ある歴史観あるいは解釈を加えて,なんらかの筋の通った歴史を構成しようとする試みが生まれてくる。フランスの物理学者P.デュエムや,ロシアに生まれ,最後はアメリカに渡ったA.コイレの一連の仕事を先駆として,アメリカのギリスピーC.C.Gillispieの《客観性の刃》(1960。邦題《科学思想の歴史》)に至るさまざまな科学史書が,その範疇(はんちゆう)に入ると思われる。…
…たとえば〈慣性の原理〉〈力の平行四辺形〉〈落体の法則〉〈槓杆(さおばかり)の原理〉〈斜面の原理〉〈重心〉や〈能率〉の概念などである。しかしその後中世科学史の研究が進展するに従って,レオナルドにより表現されているこれらの原理や概念は,P.M.M.デュエムが《レオナルド・ダ・ビンチ研究》3巻(1906‐13)で明らかにしたように,すでに13世紀から14世紀にかけてヨルダヌスやビュリダンやザクセンのアルベルトやパルマのブラシウスBlasius(1345ころ‐1416)により先取りされ定式化されていたものであり,アリストテレス,エウクレイデス(ユークリッド),アルキメデスのようなギリシア科学の遺産ともども,こうした中世科学の成果を,どのような経路でレオナルドが手に入れたかという事情も,今日ではしだいに明らかとなってきた。しかしだからといって,レオナルドを〈近代科学の先駆者〉から〈中世科学の剽窃者〉(デュエム)におとしめることがはたして正しいだろうか。…
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