改訂新版 世界大百科事典 「デュピュイ」の意味・わかりやすい解説
デュピュイ
Jule Juvénal Dupuit
生没年:1804-66
フランスの経済学者。限界革命の先駆者の一人。イタリアで生まれたが,のちにフランスに帰り土木学校に学んで土木技師となり,1843年に土木技術に関する功労によりレジヨン・ド・ヌール勲章を受けた。経済学者としては,〈公共土木事業の効用の測定について〉(1844),〈通行税と通行料金〉(1849),〈通行税〉(1852-53),〈効用とその測定について〉(1853)など,多くの論文を公刊した。デュピュイはすでに1844年の前述の論文において,道路,運河,橋などの公共施設の社会的利益の尺度を論じて,総効用と限界効用の区別を認識していた。公共施設が存在することから発生する効用は,需要曲線ないし限界効用曲線の下方の面積で測定され,それから使用者が支払う金額を差し引いたものを彼は相対的効用とよぶ。のちにA.マーシャルが展開した消費者余剰分析を行っていたのであり,現代の厚生経済学,財政学,公共財理論の先駆者でもある。
執筆者:根岸 隆
デュピュイ
Jean Dupuis
生没年:1829-1912
フランスの貿易商。フランスの北部ベトナム侵略の原因をつくった。1860年以来,中国の漢口で貿易商を営むが,雲南に起こった回教徒蜂起(回匪の乱)に注目し,ソンコイ川(紅河)ルートを通じて雲南官吏に武器を売却することを計画,72年,ソンコイ川を遡航した。しかし2度目の積荷中に禁制品(米,塩)があったため,ベトナム官吏の制止を受けた。デュピュイはこれに反発して73年11月,M.J.F.ガルニエの援軍とともにソンコイ・デルタ一帯を占拠した。12月,ガルニエが敗死し,フランスが第2次サイゴン条約を結ぶと,これを不満として帰国し,フランスの再干渉を要路に訴え続け,82年以降の第2次侵略の世論をつくった。その後もたびたびインドシナを訪れ,フランスの経済的進出を助けた。
執筆者:桜井 由躬雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報