トルコ北東部,黒海に面する港市。同名県の県都。人口22万8013(2003)。別名トレビゾンドTrebizond,古名トラペズスTrapezous。前7~前6世紀に建設され,古くからイラン,中央アジア方面への通商路の起点として繁栄してきた。第4回十字軍のコンスタンティノープル占領の際,ここを逃れたコムネノス家が1204年トレビゾンド帝国を樹立し,その首都となってから1461年にオスマン帝国に併合されるまで,アナトリアにおけるギリシア文化の中心地であった。第2次大戦後港湾の改良工事が行われ,タバコ,茶,鉱物,林産物などのイスタンブール方面への積出港として重要である。
執筆者:長場 紘
トレビゾンド帝国時代にその首都として繁栄し,多くの教会堂が建立・再建され,また既存の教会堂が壁画で飾られたが,現在,そのすべては廃墟と化するかモスクに改修されるかしている(9世紀建立の市最古の聖アンナ教会(壁画は14世紀),〈金曜モスク〉として改修された聖エウゲニオス教会,旧主教座教会クリュソセファロス)。しかし,ほぼ完全に残されて当時の隆盛を伝える唯一のものに西郊のハギア・ソフィア教会がある。同教会は1204年ころバシリカ式教会として建立され,13世紀中ごろマヌエル1世の統治期に円蓋を有するギリシア十字型プランに改築され,壁画で飾られた。このとき,西・南・北に張り出す特色あるポーチも増築された。
執筆者:長塚 安司
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トルコ、小アジア半島北東部にあって黒海に臨む港湾都市。トラブゾン県の県都。人口21万4949(2000)。海陸交通の要衝で、空港も所在し、トウモロコシ、ヘーゼルナッツ、タバコ、茶、魚類などを集散する。紀元前7世紀にシノペ(現シノプ)のギリシア人の植民市として起源し、古くはトラペズスTrapezusとよばれた。前400年、『アナバシス』の著者クセノフォンがギリシア傭兵(ようへい)隊の仲間とともにメソポタミアから敗走し、たどり着いた町として著名である。ポントス王国やローマ、ビザンティン帝国領を経てのち、1204年には、十字軍のコンスタンティノープル占領の際、この地に逃れた皇子アレクシオス・コムネノスによって始められたトレビゾンド王国の拠点となった。1461年にオスマン帝国領となり、皇帝スレイマン1世(立法者、壮麗者)はこの地で生まれた。城砦(じょうさい)、アヤ・ソフィア寺院、イェニ・ジュマ・モスクなどの史跡やカラデニス(黒海)大学がある。南30キロメートルの山中にも5世紀に建てられたスメラ僧院の遺跡がある。
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…第4回十字軍のコンスタンティノープル占領(1204)の際,ポントスの黒海沿岸ギリシア都市トレビゾンドTrebizond(別名トラブゾン,古名トラペズスTrapezus)に落ち延びたビザンティン貴族アレクシオス・大コムネノスが,ゲオルギア女王タマルの支援で建てた国家(1204‐1461)。公式の支配者称号は,〈全アナトリア,イベリア(カフカス南)人,ならびに海のかなたの地(クリミアを指す)の皇帝basileus kai autokrator〉。…
※「トラブゾン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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