ドゥラ・エウロポス(読み)どぅらえうろぽす

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドゥラ・エウロポス
どぅらえうろぽす
Dura-Europos

シリア砂漠を流れるユーフラテス川中流域の右岸、約50メートルの高さの小丘にある都市遺跡。現在シリア・アラブ共和国に属し、アル・サーリヒーヤーとよばれる。紀元前280年ごろセレウコス朝の部将ニカノールがマケドニア兵の軍事植民地として建設した。前113年ごろパルティア帝国の支配下に入り、国境要塞(ようさい)として、またメソポタミアからパルミラを経て地中海に至る交易路の中継地として発展した。紀元後165年ローマ軍のペルシア遠征基地となり、256年ごろササン朝のシャープール1世に攻略されて廃墟(はいきょ)となった。1921年イギリスの軍人が偶然発見し、アメリカのエール大学がフランス碑文学会の協力を得て完全に発掘した。遺跡は周壁で囲まれた碁盤目状の整然としたギリシア式都市計画のもとに、取引場、隊商宿、各種店舗、劇場、浴場、城砦(じょうさい)が並び、羊皮文書、武器、ガラス製品、装身具、織物、皮靴などのほか、ユダヤ教会堂、現存する世界最古のキリスト教会堂、ギリシア、ローマ、西アジア諸神の神殿が出土し、住民の人種や宗教の多様性を示している。織物のなかには中国製に似た絹織物がある。パルミラ神殿内で発見された壁画は、ペルシアとギリシアの影響のなかに土着のセム系の性格を表現し、ユダヤ教会堂内で発見された壁画は、キリスト教美術の現存する最古の作品であり、ビザンティン美術の先駆をなすものである。[小玉新次郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のドゥラ・エウロポスの言及

【ドゥラ・ユーロポス】より

…シリア東部,ユーフラテス川右岸にある古代都市遺跡。ギリシア語ではドゥラ・エウロポスDoura Eurōpos。前300年ころ,セレウコス1世によって建設された要塞都市で,ヘレニズム時代は軍事都市にすぎなかったが,パルティア人が同市を占領した前100年ころから東西交易の中継基地として発展し,とくにパルミュラの発展により大きな恩恵を受けた。…

※「ドゥラ・エウロポス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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