改訂新版 世界大百科事典 「ドル買事件」の意味・わかりやすい解説
ドル買事件 (ドルかいじけん)
1931年に財閥系銀行,会社および外国銀行が,金輸出再禁止を見越してドル為替を大量に買い入れ,金解禁政策の破綻を決定的にする一因となった事件。金輸出再禁止後の円相場の下落でドル買勢力はおもわくどおり巨額の為替差益を得たが,ドル買いは売国的投機であるとの社会的批判が集中し,財閥攻撃の誘因ともなった。1930年1月,浜口雄幸民政党内閣は金解禁を実施し金本位制を再建したが,実勢に合わぬ高円レートの解禁の中で,大量の金が流出した。政府は30年7月末からは横浜正金銀行にドル為替の統制売りを行わせるなどして,金本位制維持の決意を示した。しかし31年9月18日に満州事変が勃発し,21日にイギリスで金本位制が停止されると,日本も金本位制停止が必至との予測の下に,財閥系銀行,商社や外国銀行が猛烈にドル為替を買い入れはじめた。政府は市中銀行におもわく的なドル買いの中止を要請したがやまず,一方で正金銀行にドル為替を無制限に売り応じさせ応戦した。イギリス金本位制停止後の3ヵ月足らずの間に5億1000万円のドル為替が売られるすさまじさであった。この間に正貨準備は激減し,通貨は収縮,物価は下落し恐慌は深刻化した。12月11日若槻礼次郎民政党内閣は総辞職し,代わった犬養毅政友会内閣は即日金輸出を再禁止したので対米為替相場は一挙に3分の1近く下落し,ドル買側は巨額の為替差益を得た。横浜正金銀行のドル為替統制売り総額は金輸出再禁止までに7億6000万円にのぼったが,そのおもな買手の内訳は,ナショナル・シティ銀行約2億7300万,香港上海銀行4000万円,住友銀行6400万円,三井銀行5600万円,三菱銀行5300万円,三井物産4000万円であったといわれる。
金解禁不況の中でドル買いに走った財閥系銀行に対して非難が高まり,軍部,右翼団体,社会民衆党は,反資本主義,ファッショ化の宣伝材料にした。とくに三井銀行に対しては社会民衆党の青年同盟員が同行に乱入したり,血盟団事件の原因になるなど攻撃が集中した。三井銀行自身はドル買いはおもわくではなくポンド貨凍結などに対処するための実需によるものであり,31年下期は1230万円の欠損であったと弁明。ただし,この欠損については粉飾決算であり同期は巨利をあげていたともいわれる。
執筆者:坂本 雅子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報