翻訳|Don Juan
好色放蕩(ほうとう)の伝説上の人物。転じて漁色家の代名詞になった。『セビーリャ年代記』によると、スペインの名家の息子ドン・ファン・テノーリオはウジョエの娘を奪ってウジョエを殺害した。その遺体が埋葬された寺院のフランシスコ会の僧たちは怒ってドン・ファンを殺したが、その事実を隠し、ウジョエの墓の上に建てられた石像がドン・ファンの上に倒れ、彼はその下敷きになって死んだという噂(うわさ)を流し、死因を天罰とした。この事件をスペインのティルソ・デ・モリーナが『セビーリャの色事師と石の招客(まろうど)』(1630)という劇にし、大当りをとった。イタリアでイタリア版(1659)がつくられ、ついでフランスのモリエールによる喜劇『ドン・ジュアン、あるいは石像の宴』(1665)となり大成功を収めた。その後モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』(1787)を生む。ロマン主義の台頭した19世紀になると、ドン・ファンはさらに脚光を浴び、バイロンの『ドン・ジュアン』(1819)、ソリーリャの『ドン・ファン・テノーリオ』(1844)など数々のドン・ファンものがつくられた。20世紀には小説家モンテルランの『ドン・ジュアン』(1958)がある。このほか詩人のプーシキンやボードレール、哲学者のキルケゴール、小説家のアレキサンドル・デュマやプロスペル・メリメ、音楽家のリヒャルト・シュトラウスなど多数の者が、ドン・ファンを取り上げた。
なぜ、これほどまでドン・ファンは文学芸術のテーマになりえたのか。特定の女性にとらわれることを避け、次から次に新しい女性を求めたドン・ファンの心理の解釈がさまざまにできるからであり、不幸や後悔や責め苦を担う悪の天使、あるいはその時代その時代の道徳に反抗する反逆者として、かっこうの人物だったからであろう。一方、精神分析学者の間でも、ドン・ファン的人物の精神分析に関心が寄せられている。
[村田仁代]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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