近代法では市民法bürgerliches Recht(ドイツ語),droit de bourgeoisie(フランス語)の語は市民の社会関係を規律し,市民社会の内部秩序を保持するための法を意味する。この場合,市民とは具体的生活を営む人間ではなく抽象的に考えられた法的人格としてとらえられている。すなわちすべての市民は,自由・平等で独立した法的人格として,各人の自由意思と理性に基づいて社会関係を結ぶのであり,このような抽象的市民の合理的な社会関係の総和が市民社会秩序なのである。ここには18世紀ヨーロッパにおいて成立した近代個人主義の影響が明瞭に見受けられるが,実際,市民法概念はロックからヘーゲルに至るいわゆる市民社会論の法学的表現ともいいうる。ところで,市民法が規律する抽象的市民の合理的な社会関係は,典型的には商品所有者たる市民が自由に取引の相手方を選択し,互いに平等に商品交換と取引を行う関係である。それは私法とりわけ民法が対象とする社会関係であり,そこでは所有権の絶対,契約自由の原則,過失責任主義の原理が市民法の基本原理として表明されている。すなわち市民社会の内部では市民は自己の所有物について絶対的処分権をもち自由に商品として取引交換することができ,そこに生じうる損害は自己に故意または過失ある場合にのみ損害賠償責任を負う。そして国家はこの場合,市民社会の外にあって,市民社会の自律的な交換秩序の外的な保障者としてのみ存在する(いわゆる夜警国家)。ところが19世紀以降,このような〈市民社会秩序〉は現実には市民相互の間での実質的不平等と貧富の差の拡大をもたらし,また労働者等の経済的弱者の実質的不自由の増大を生ぜしめるに至った。そして社会運動や労働運動が活発化し資本家と労働者の階級的対立が激化するに至って,市民社会に国家が介入しその内部矛盾を調整・修正するという考え方が生じ,この考え方に基づいて現在の労働法,経済統制法および社会保障法などの社会法の領域およびその概念が形成されている。それゆえ現代法は市民法秩序の維持を基本としつつそれに社会法による調節・修正を与えるものであると考えることもできるが,この見解に対しては,市民法と社会法はまったく異なった原理に立つものであり両者の混合によっては現代法の統一的理解はえられないとする批判も存在する。なお,ローマ時代の市民法については,〈ローマ法〉の項を参照されたい。
執筆者:桂木 隆夫
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ローマ社会の市民法(ラテン語でユス・キウィレius civile)は、ローマ市民相互間だけに通用する法のことをいい(属人法主義)、十二表法、祖先からの慣習法、民会立法および解釈からなる。これは古代農業社会に特有な厳格な形式性をもっているため、ローマの領土が拡大し社会の発展とともに、ローマ市民以外の人々との間を規律する、取引を中心とした、形式にとらわれない法(万民法)が形成された。212年ローマ帝国内のすべての住民に市民権が与えられたので、厳格形式的な市民法と万民法との区別は消滅した。
近代の市民法civil lawは、ローマ社会の市民法とは根本的に異なり、資本主義社会に適合的な法であり、すべての者が対等であること、契約の自由、私的所有権、さらに「過失なければ責任なし」とする過失責任主義をその内容とする。近代市民法は、社会に起こりうるあらゆる場合を想定した法構造をもっており、それはきわめて抽象的なまた合理的な性質を有する。しかし、いかなる契約を結んでも自由であるという法構造をもっているがゆえに、資本家と労働者との間、大資本と消費者との間に具体的な不平等が現れ、労働法や消費者保護法などによって、市民法は大幅に修正されるに至っている。
[佐藤篤士]
『原田慶吉著『ローマ法の原理』第2版(1968・弘文堂)』▽『加古祐二郎著『近代法の基礎構造』(1964・日本評論社)』▽『渡辺洋三著『法とはなにか』(岩波新書)』
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…重要な法学者を輩出したノビリタス(新貴族)の家系に属し,執政官(前95)を経て,属州アシアにおいて模範的属州統治を行い(前95),さらに前89年以降神官団長(ポンティフェクス・マクシムス)を務めた。ギリシアの学芸の影響をうけて,市民法についての初めての体系的叙述である《市民法》18巻を著し,この著作はその後2世紀に至るまで注解の対象とされた。なお,彼の父Publius Mucius S.(前133の執政官)も政治家,法学者として著名。…
…第1次世界大戦後のドイツを中心として一般化した概念であり,所有権の絶対,契約自由の原則,過失責任主義を基本原理とする近代市民法を修正する意味をもつ法を指す。その意義については種々の考え方があり定説はないが,代表的な学説としては,O.F.vonギールケ,G.ギュルビッチ,G.ラートブルフなどの名をあげることができる。…
…ローマ法において,ローマ人のみに適用される市民法Jus civileに対し,ローマ人と非ローマ人および非ローマ人相互間の法的関係を律するために発達した法。ローマ古来の市民法においては,法律訴訟,要式行為など厳格な言葉や方式を使うことが必要とされた。…
…これに対し,共和政移行後まもなく身分闘争の過程で平民が法の公開を要求し,その結果十二表法が制定された。十二表法は,刑法と未分化のままで復讐の観念が強く残存する不法行為法,強大な家長権,形式主義の支配など農業社会の原始的な法であり,ローマ市民にのみ適用となり,以降,解釈およびその後の若干の立法による修正はあるが,〈全公法・私法の源〉としてながく市民法の核心を形づくった。当時の法観念によれば,神々の意にそむかないで人々が有効な法律行為,訴訟を行うためには厳格に定められた言葉や方式を使うことが不可欠であり(法律訴訟ならびにネクスム(拘束行為),銅衡式売買,問答契約などの要式行為はいずれもこの観念に支配されており,〈木を切られた〉として訴えるべきところ〈ブドウの木を切られた〉といったために敗訴した例が伝えられる),それらの知識は神官団が十二表法制定後も引き続き独占した。…
※「市民法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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