翻訳|narcissism
ギリシア神話のナルキッソス(一般に用いられるナルシスはこのフランス語名)に由来する概念。ナルシズムともいう。美少年のナルシスは、ニンフのエコーの愛を拒絶して水面に映った自分の姿に見とれ、その場から離れることができず死んでしまう。ここから一般的には自己愛、自己陶酔の意味で使われる。ナルシシズムでは、性的リビドーは外の対象に向けられず、自分自身に向けられる。異性の愛を拒絶し、同性の愛を求める同性愛は、自分以外の対象を求めるとはいえ、この対象は自分自身の代理にほかならず、ナルシシズム型の愛の様式である。フロイトによれば、ナルシシストは「母親が自分を愛してくれたように、自分が愛することのできる若者(すなわち自己と同一視された対象)を求める」のである。パラノイア型の精神病では、外に向けられていた対象リビドーは、自分に向け換えられ自我リビドーとなり、ナルシシズムを肥大化し、それがふたたび外に投影され誇大妄想をつくりだす。
ナルシシズムという用語を最初に用いた(1895)のは、イギリスの性心理学者エリスであるが、1899年にドイツの精神科医ネッケPaul Näcke(1851―1913)は、ナルシシズムを性的倒錯の一種として定義した。フロイトは『ナルシシズム入門』(1914)において、ナルシシズムを自我発生の問題として取り上げ、自体愛と対象愛の中間に位置する発達段階であり、自体愛に特別な心的作用が加わり、ナルシシズムに発達すると考えた。この特別な心的作用とは同一視であり、他者との同一視によって自我が形成されるが、自我が形成されると、自分の身体ではなく自分の自我を愛するようになる。ラカンの発達段階としての鏡像段階は、この同一視を明確に記述しようとするものである。フロイトは、『自我とエス』(1923)においては、自他未分の原初的状態を一次的ナルシシズムとよぶ考え方を示している。幼児的なナルシシズムが喪失すると、その代理として自我理想がつくられる。
[川幡政道]
『フロイト著、懸田克躬・吉村博次訳「ナルシシズム入門」(『フロイト著作集5』所収・1969・人文書院)』▽『フロイト著、小此木啓吾訳「自我とエス」(『フロイト著作集6』所収・1970・人文書院)』▽『外林大作著『フロイトの読み方2 ナルシズムの喪失』(1988・誠信書房)』▽『A・ローウェン著、森下伸也訳『ナルシシズムという病い――文化・心理・身体の病理』(1990・新曜社)』▽『セルジュ・ルクレール著、小林康夫・竹内孝宏訳『子どもが殺される――一次ナルシシズムと死の欲動』(1998・誠信書房)』▽『小此木啓吾著『自己愛人間 現代ナルシシズム論』(講談社文庫)』
ギリシア神話の美少年ナルキッソスにちなむ造語で,〈自己愛〉と訳される。ネッケP.Näckeにより用いられ,S.フロイトが精神分析の概念として確立した。精神分析では個人の発達の最初の段階に個人が自己と対象(他者),現実と非現実(空想)の区別を知らない時期,いいかえれば個人がまだ自己と区別され,自己と対立する他者や空想とぶつかり,空想の世界を限定する現実を発見していない時期を仮定している。この状態は,人類が他の高等哺乳類と違って感覚運動器官が未発達なまま,いわば一種の未熟児として生まれてくること(ネオテニー)に起因しているが,個人の最初の衝動生活はこの状態のなかで営まれ,満足される。他者も現実も発見していないわけだから,この時期の個人はいわば全知全能,唯一無二,天上天下唯我独尊の世界に生きており,これがいわゆる〈一次的ナルシシズムprimary narcissism〉の状態である。この時期の個人の自己を筆者は〈幻想我〉と呼んでいる。そのうち感覚運動器官も発達し,フラストレーションの経験が重なってゆくにつれ,個人は不本意ながら他者と現実を発見する。この時期の個人の自己は,他者と現実に限定された,みじめで無力な〈現実我〉である。〈現実我〉が成立したのちも,もちろん幻想像は消滅しないが,ただ,〈一次的ナルシシズム〉の時期の全知全能的なものではなく,うぬぼれとか自尊心といった形の,より穏当なものとなる。
個人は〈幻想我〉と〈現実我〉との対立と葛藤を一生にわたって抱え込む。〈幻想我〉にくらべると〈現実我〉は卑小でみじめったらしいから,個人はできることなら現実我を捨ててしまいたい。しかし〈現実我〉を否定することは,現実の損害と苦痛,終局的には死を意味するからそうもできない。個人は迷い,ゆれ動く。名を捨てて実を取ったとき,恥を忍んでいやな上役に頭を下げたとき,降伏して命乞いをしたとき個人は〈現実我〉を選んだのであり,そのときなおざりにされた〈幻想我〉は耐えがたい屈辱感となって心に傷を残す。逆に誇りを持して利害打算を無視したとき,みえを張って気まえよくふるまったとき個人は〈幻想我〉を選んだのである。これくらいはまだ正常のうちだが,〈現実我〉を否認して〈幻想我〉こそ現実だとみなすようになれば,統合失調症の誇大妄想となる。このようにいったん〈現実我〉が成立したのち〈現実我〉が否認されて,〈幻想我〉だけの状態に退行したのを〈二次的ナルシシズムsecondary narcissism〉という。
個人は〈幻想我〉と〈現実我〉の葛藤をいろいろな方法で解決しようとする。〈幻想我〉を対象に投射(投影)し,〈幻想我〉と同一視された対象を恋慕し,崇拝するという方法もある。恋人をいやがうえにもあがめるといった形の恋愛はこれで,この世のものならぬすばらしさをそなえた恋人とつまらぬ自分との対比に〈幻想我〉と〈現実我〉の対比がずらされている。〈幻想我〉を投射する対象は別に人間でなくてもよく,国家とかなんらかの理想とか主義とかでもよい。絶対的な価値をもつ不滅の国家や理想のために献身し,場合によっては生命まで犠牲にすることによって,〈幻想我〉の不滅化を図ろうとするわけである。そのほか芸術や犯罪など,人間のさまざまな営為にナルシシズムの表現を見ることができる。
執筆者:岸田 秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…ただし,S.フロイトによると,この〈異性愛〉もはじめからそういうものとして成立するのではなく,幼児が自分の指を吸う行為などにみられるように,まず自分自身の身体を対象とする〈自体愛(オートエロティズム)〉として芽生えたのち,自己という存在全体にむけられて〈自己愛〉へとすすむ。水面に映った自分の姿にあこがれ,水に落ちておぼれ死ぬギリシア神話の美少年ナルキッソスの場合がこれで,その名にちなみ,〈ナルシシズム〉とも呼ばれるが,成長後も,ある種の神経症や精神病では,退行してこの状態を再現することがある。ふつうは自他の分離の完成とともに,自分以外の他者が愛の対象として選ばれるようになるが,その場合でも〈同性愛〉の段階をへて初めて〈異性愛〉という最終的な愛の様態に到達する。…
※「ナルシシズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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