翻訳|Nantes
古代から水運の拠点として栄え、地域の政治的中心となった。1562年に起きた新旧キリスト教徒の内戦「ユグノー戦争」をめぐり、国王アンリ4世が98年、新教徒側の権利を認める「ナントの勅令」を発し終戦に導いた。17~18世紀には奴隷貿易で栄え、19世紀以降は造船、機械、製菓などの工場が進出し工業都市となった。現在は近隣の約20市町村と協定を結び、ナント都市圏を形成。小説「海底二万里」などの作家ジュール・ベルヌの生誕地でもある。(ナント共同)
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フランス西部、ロアール・アトランティク県の県都。人口27万0251(1999)、30万3382(2015センサス)。パリの南西383キロメートル、ロアール川とその支流エルドル川との合流点に位置する。西フランス最大の都市で、南ブルターニュ、ロアール川下流域の交通・経済の中心地。河口から50キロメートルの距離にあり、外洋船の航行も可能。18世紀には西インド諸島およびアフリカとの砂糖や黒人奴隷の交易による三角貿易で栄えた。しかし、内陸に位置するため、19世紀以降は貿易量が伸び悩んだ。植民地時代から食品工業、とくに精糖、菓子製造が発展し、現在、火力発電所があることから、機械、電機、化学など工業業種は多彩である。司教座、大学所在地。
[高橋伸夫]
古代ローマ人の進出を受け、のちにノルマン人の侵攻を被った。中世に入ってブルターニュ公の居住地となったが、アンヌ・ド・ブルターニュAnne de Bretagne(1477―1514)がフランス国王シャルル8世と結婚し、ついでルイ12世の王妃となったことにより、最終的には1524年フランス王領地に併合された。ルイ14世幼少時代の大蔵卿(きょう)ニコラ・フーケが涜職(とくしょく)の罪で逮捕されたのもナントであったが、とりわけナントの名を有名にしたのは、1598年アンリ4世が当地でカトリックとプロテスタントの平和共存を打ち出した寛容王令(ナントの王令)である。フランス革命時代はジロンド派の牙城(がじょう)として世に知られている。
[志垣嘉夫]
フランス西部,ロアール・アトランティク県の県都。人口27万0474(1999)。ロアール河口のサン・ナゼール港の上流47kmにある。ブルトン語ではナオネド。その名はガリア人のナムネテス族の居住地であったことに由来する。939年にブルターニュ公国の主都。1598年アンリ4世がナントの王令を発した地として知られる。16~18世紀にはギニアで買った黒人奴隷をアンティル諸島に運んでサトウキビと換え,ナントで製糖するという三角貿易によって,フランス第1の港となった。大革命では王党派にくみし,革命派が王党派を大量に溺死刑に処した。19世紀に外港としてサン・ナゼールを開き,運河で結んだことにより,喫水8.25mの船舶まで入港可能になると共に,川中島のボーリューを中心に重化学工業が発展した。公の居城や大聖堂など15世紀以来の歴史的建造物や,18~19世紀そのままの旧街区と共に,第2次大戦後にル・コルビュジエが設計した南岸の近代的街区も有名である。
執筆者:田辺 裕
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