ナーシク(英語表記)Nāsik

デジタル大辞泉 「ナーシク」の意味・読み・例文・類語

ナーシク(Nasik)

インド西部、マハラシュトラ州都市ムンバイ北東約170キロメートル、ゴダバリ川沿いに位置する。ラーマーヤナゆかりの地であり、ヒンズー教聖地としても知られる。川沿い沐浴場で、12年に一度、ヒンズー教の大祭クンブメーラーが行われる。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ナーシク」の意味・わかりやすい解説

ナーシク
Nāsik

インド西部,マハーラーシュトラ州北西部の都市。人口107万7236(2001)。西ガーツ山脈東麓のゴーダーバリー川源流部にある。同川は地下でガンガーガンジス)川と源を同じくするとされ,ナーシクはワーラーナシーと並ぶヒンドゥー教の聖地となっている。《ラーマーヤナ》の主人公ラーマ王子は故国を追われて妃シーターとともにここに来住し,シーターはここでランカー王ラーバナに誘拐されたとされる。川の南岸部の旧市には多くのビシュヌ寺院が点在し,12年ごとに催されるクンブ・メーラーはヒンドゥー教最大の祭りの一つである。周辺からの綿花,米,果物の集散と加工を行うほか,インド政府印刷局の工場がある。
執筆者: 町の南方約8kmの山の中腹には仏教石窟があり,前1~後2世紀にサータバーハナ朝サカ族のクシャハラータ家によって造営され,一部は5~6世紀に拡張や新造もされた。当地最古の小規模な第19窟には,サータバーハナ朝第2代王クリシュナ(前1世紀末期)のときの造営であることを示す刻文がある。125-150年ころの第3窟は,欄楯(らんじゆん)模様を彫った腰壁を正面廊前面に掘り残し,列柱の柱頭は入念に仕上げられたさまざまな動物像で飾られている。また広間後壁中央にストゥーパを浮彫するのは,僧院の仏殿化への萌芽である。ほかに第10,18窟も重要である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナーシク」の意味・わかりやすい解説

ナーシク
なーしく
Nāsik

インド西部、マハラシュトラ州北西部の都市。ムンバイ(ボンベイ)の北東150キロメートル、西ガーツ山脈山麓(さんろく)のゴダバリ川の上流沿岸に位置する。人口107万6967、周辺部を含む人口115万2048(2001)。ガンジス川中流域のワーラーナシやアラハバードに次ぐヒンドゥー教の聖地として知られ、多くの参拝客が訪れる。ことに12年に一度のクンブ・メラの大祭には何十万人もの信徒が訪れる。ゴダバリ川の沐浴(もくよく)場は身を清める信徒の群れでいつもにぎわっている。河岸に並ぶ寺院のなかには14世紀ごろ建設されたものもあり、200~300年の歴史をもつものが多い。南西8キロメートルの郊外には紀元前1~後2世紀の仏教系石窟(せっくつ)寺院がある。

[中山晴美]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナーシク」の意味・わかりやすい解説

ナーシク
Nāsik

インド西部,マハーラーシュトラ州北西部の都市。ナーシク県の行政庁所在地。ムンバイ (ボンベイ) 北東約 150km,ウェスタンガーツ山脈東麓,標高 600mに位置。聖なるゴダバリ川にのぞみ,『ラーマーヤナ』の主人公ラーマー王子が住んだと伝えられるところから,多くのヒンドゥー教徒が巡礼に訪れ,沐浴する。付近には1~6世紀にかけてのパンドゥレナと呼ばれる仏教,ジャイナ教の洞窟寺院群がある。銅・真鍮細工が盛んで,像,小箱,鎖,ランプなどがつくられる。製糖,搾油,綿・絹織物工業がある。人口 64万 6896 (1991) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ナーシク」の意味・わかりやすい解説

ナーシク

インド中西部,ボンベイ(ムンバイ)の北東約150km,マハーラーシュトラ州にある都市。ゴーダーバリー川に臨み交通の要地。綿花,米など農産物取引の中心。工業は小規模で,織物,タバコ,手工芸品など。ヒンドゥー教の巡礼地であり,また南西8kmの地にある仏教の石窟寺院群で有名。石窟は,前1―後2世紀にサータバーハナ朝やサカ族によって造営されたものが多い。156万2000人(2011)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報