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ハイエク Hayek, Friedrich (August) von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハイエク
Hayek, Friedrich (August) von

[生]1899.5.8. ウィーン
[没]1992.3.23. フライブルク
オーストリア生れの経済学者。ウィーン大学卒業後官吏となり,1927~31年オーストリア景気研究所長,29~31年ウィーン大学講師を兼任,31年ロンドン大学客員教授,同正教授を経て,50年にシカゴ大学教授,62年に西ドイツのフライブルク大学教授に就任した。第2次世界大戦前はオーストリア学派第3世代の代表的理論家の一人として貨幣的景気理論を展開し,景気の安定のためには貨幣の中立を維持すべきであるという中立貨幣論を堅持する一方,経済政策面では最小限の計画と社会保障を容認しながらも徹底的な自由主義を主張した。その後社会哲学面に関心を移し,47年世界の自由主義者の国際団体モンペルラン・ソサエティーを創立,初代会長 (のち名誉会長) となり,新自由主義の指導者として活動した。『貨幣と景気』 Geldtheorie und Konjunktur theorie (1929) や『価格と生産』 Prices and Production (31) などの著作を通じて,かつてはその貨幣的経済理論によって著名であったが,今日ではむしろネオ・オーストリアンの理論的源流の一人として,あるいは経済理論の枠組みを越えた思想家として評価されている。 74年 G.ミュルダールとともにノーベル経済学賞受賞。主著『資本の純粋理論』 The Pure Theory of Capital (41) ,『隷従への道』 The Road to Serfdom (44) ,『個人主義と経済秩序』 Individualism and Economic Order (48) など著書多数。

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百科事典マイペディアの解説

ハイエク

ウィーン生れの経済学者。オーストリア学派の後継者。ロンドン,シカゴ,フライブルク各大学の教授を歴任。貨幣的景気理論を展開,資本理論を純化させ,また自由主義経済政策を主張。
→関連項目アメリカ学派迂回生産新自由主義

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世界大百科事典 第2版の解説

ハイエク【Friedrich August von Hayek】

1899‐1992
オーストリアの経済学者。ウィーンに生まれる。研究領域は経済理論,経済政策だけでなく,科学方法論法哲学,社会思想など社会科学の広範な分野に及ぶ。ウィーン大学の学生時代,法律学だけでなく,F.ウィーザーやO.シュパンの経済学の講義に出席するとともに,E.マッハやM.ウェーバーの著作を読んだ。このことは,後の研究上の関心(とくに感覚論,認識論)に大きく影響したと思われる。またこの時期,数人の友人たちと〈民主主義学生連盟〉を結成し,後年まで続くハイエクの国家主義と社会主義双方に対する戦いの第一歩を踏み出していることが注目される。

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大辞林 第三版の解説

ハイエク【Friedrich August von Hayek】

1899~1992) オーストリアの経済学者。貨幣的景気理論を展開する一方、ケインズ主義や社会主義を批判して、社会経済論に基づく自由主義を唱えた。著「景気と貨幣」「隷従への道」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ハイエク
はいえく
Friedrich August von Hayek
(1899―1992)

オーストリアの経済学者、思想家。ハイエクの業績を大別すれば、第二次世界大戦を境として、前期の純粋に経済学的時代と、後期の、経済学を核心としながらも、これを超えて哲学、法学、政治学、心理学、人類学等々きわめて広範な分野を、相互間の脈絡を失うことなく、一大理論体系へと進化的evolutionallyに発展させてきた時代とがある。もちろん、後期の萌芽(ほうが)は前期においてすでに明白に見取ることができる。それにしても、後期の深遠で広大な理論的発展は、ハイエクが20世紀における一大思想家であり碩学(せきがく)であることを示して十分である。
 ウィーンに生まれ、ウィーン大学卒業後、1927年オーストリア景気研究所所長となり、29年に発表した貨幣的景気変動論でたちまち世界に令名を馳(は)せ、翌年ロンドン大学へ客員教授として招聘(しょうへい)され、2年後に正教授となった。50年にシカゴ大学へ、62年に旧西ドイツのフライブルク大学へ移り、69年から77年まで母国オーストリアのザルツブルク大学の客員教授となったが、その後ふたたびフライブルク大学へ復帰した。その間、74年にノーベル経済学賞を授与された。賞の名のとおり、ハイエクの主として前期における純粋に経済学的貢献に対するものであった。
 貨幣的側面と実物的(生産構造上の)側面との両面から、相対価格体系の変動が景気の変動を発生させるとするハイエク理論は、この問題を捨象し主として集合量の変化に基づき、いわゆるマクロ的分析を行うケインズ派経済学とは、基本的・対照的に違っており、ハイエク‐ケインズ論争は有名である。ケインズ派の凋落(ちょうらく)とともに、改めてハイエク・ブームが始まったのも不思議ではない。かつて一度は「中立貨幣」を説いたハイエクが、1977年に「貨幣の非国有化論(国立中央銀行撤廃論)」を主張するに至ったのも当然かもしれない。だが、ハイエクは「自由放任論者」ではなく、自由社会や自由経済をよりよく発展させるために、政府は何をしなければならないかを、つねに新しい問題として解答していかなければならないという「新自由主義」を説く。主要な著書としては、『価格と生産』Prices and Production(1931)、『資本の純粋理論』The Pure Theory of Capital(1941)、『隷属への道』The Road to Serfdom(1944)、『個人主義と経済秩序』Individualism and Economic Order(1948)、『感覚秩序』The Sensory Order(1952)、『自由の体質とその原理』The Constitution of Liberty(1960)、『法と立法と自由』Law, Legislation and Liberty(1982)などがある。[西山千明]
『西山千明・矢島鈞次監修『ハイエク全集』全10巻(1986~90・春秋社) ▽C. Nishiyama & K. R. Le K. R. Leube (ed.), The Essence of Hayek (1984, Hoover Institution Press, Stanford University, Stanford, California, U.S.A.)』

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世界大百科事典内のハイエクの言及

【オーストリア学派】より

…彼は帰属価格の厚生経済学的意味を明らかにし,先駆的な社会主義経済理論を展開している。さらに,企業者による革新を強調して《経済発展の理論》(1912)を説いたJ.シュンペーターもこの学派の出身であり,またオーストリア資本理論を基礎にした景気変動論や自由主義論で名高いノーベル賞受賞経済学者F.ハイエクは現代におけるオーストリア学派の代表的な存在であるといえよう。経済学説史【根岸 隆】。…

【経済哲学】より

…このようないわば主観主義的な方向における経済哲学はオーストリア学派の流れにもみることができる。たとえば,その現代における代表者ともいうべきF.A.vonハイエクは,人間の意識的もしくは反省的な行為を扱うものとしての主観主義の社会科学を唱えることを通じて,経済学の自然科学化を厳しく批判している。またソシオ・エコノミックスといわれる研究も,経済行為の象徴論的解釈をめざすものであり,主観主義の経済哲学と深い関係をもちつつある。…

【シカゴ学派】より

…いずれもシカゴ大学がそれぞれの分野で,ある時期に世界的影響を与えたことから発生した用語である。経済学・社会思想の分野におけるこの学派は1940年代のF.A.ハイエクに代表され,ハイエクがシカゴを去ったのちには,マネタリズム(新貨幣数量説)の提唱者でもあるM.フリードマンがその代表的学者と考えられることが多い。ハイエクの思想はアダム・スミスの考えを現代的に深化・拡大したものであり,最もすぐれた現実的社会経済体制は民主主義のもとにおける市場経済であることを,一つの社会経済理論として確立した。…

【新自由主義】より

…ルソーやヘーゲルを援用する彼の新理想主義は,自由の実現のために国家の果たすべき積極的役割を示して,イギリス自由主義に新たな展開をもたらした。福祉国家が現実のものとなった今日,新自由主義を標榜するのはF.A.vonハイエクM.フリードマンらケインズ批判派の経済学者である。彼らはケインズ派の有効需要政策を批判し,国家は通貨供給量の調節だけを行って,市場経済をかく乱すべきでないと説く(マネタリズム)。…

【ロンドン学派】より

…完全競争的市場機構の資源配分機能に固い信頼をいだき,民間の自発的経済活動に対する政府の干渉を強く排斥する点に特徴をもつ。この派の代表者とみなされているのはロビンズLionel Charles Robbins(1898‐1984)とF.A.vonハイエクである。ロビンズは処女作《経済学の本質と意義》(1932)において,有名な〈経済学の希少性定義〉を与えるとともに,相異なる個人の基数的効用の比較可能性を前提とするA.C.ピグーの〈旧〉厚生経済学の基礎を厳しく批判した。…

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