アッバース朝第5代カリフ(在位786~809)。この王朝の全盛期を代表するカリフで、一般的には奢侈(しゃし)と快楽を好む典型的な君主とされているが、実際にはカリフの威信を保つための細心の注意を怠らなかった人物である。ただ、その治世中にはさまざまな重要事件が発生し、アッバース朝が政治的に衰運に向かう契機をつくった。
第3代カリフのマフディーの第3子で、イエメン系の、もと女奴隷ハイズラーンを母として生まれ、華やかな宮廷生活のなかで育った。皇太子時代の779/80年と781/82年の2回、対ビザンティン遠征軍の総指揮官に任ぜられ、ボスポラス海峡にまで迫る勢いをみせた。母やバルマク家のヤフヤー・ブン・ハーリドらの宮廷工作が実を結ばず、兄ハーディーがカリフにつくと、冷遇されしばらく逆境にあったが、その突然の死でカリフ位についた。対外的には対ビザンティン政策を積極的に進め、国境付近の諸都市を要塞(ようさい)化して侵攻の基地とし、797年には現在のアンカラまで親征して女帝イレーネに朝貢させた。ニケフォロス1世(在位802~811)が即位して緊張関係が生じると、803年と806年にもビザンティン奥深く親征した。ヨーロッパ側の史料によると、フランク国王カール大帝からの使節を受け入れたとされているが、アラブ側の史料にはみえない。
対内的には、アッバース朝の支配に不満をもつさまざまな党派の反乱が相次ぎ、鎮定に苦しんだ。内政はこの王朝の初代から重用されていたイラン系のバルマク家一門にほとんどをゆだね、それは17年間に及んだが、おそらくイラン系勢力の、より以上の伸張を恐れて、803年突如これを断絶し、自ら国政に臨んだ。また宮廷に多くの学者や文人を集め、学術を保護奨励してイスラム文化の花を咲かせた。『千夜一夜物語』の登場人物としても有名である。
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763/766~809(在位786~809)
アッバース朝の第5代カリフ。バルマク家のヤフヤー,および二人の子ファドルおよびジャーファルを重用し,アッバース朝の黄金時代を築いた。また多くの詩人,楽師を保護した。在位中,しばしばアナトリアに遠征し,インド王やフランクのカール大帝と使節,贈り物を交換した。ホラーサーンの反乱の鎮定に向かう途中,トゥースで病没した。
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… ネーデルラントはブルゴーニュ公国時代に一大発展を遂げて経済的・文化的隆盛を極めるが,北部は後進的な地位にとどまっていたため,優れた芸術家はしばしば国外に活躍の場を求めた。ハールレムが生んだオランダ最大の彫刻家C.スリューテルは国際ゴシック様式にくみせず堂々たる量感に富んだ石彫像を制作して新たな写実主義への道を開いたが,もっぱらフランスのディジョンで活動したため出身地にはほとんど影響を残していない。絵画においてもミニアチュール画家としてフランスの宮廷で活躍したマルーエルJan Malouel(?‐1415)とランブール兄弟,ルーバンで市の画家を務めたバウツなどは,北部の出身であるにもかかわらず,通常はそれぞれフランスおよびフランドル美術史の中に位置づけられている。…
※「ハールーンアッラシード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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