ばら戦争(読み)ばらせんそう(その他表記)Wars of the Roses

改訂新版 世界大百科事典 「ばら戦争」の意味・わかりやすい解説

ばら戦争 (ばらせんそう)
Wars of the Roses

1455-85年,百年戦争終結後のイギリスで戦われた貴族間の内乱遠因は百年戦争中の1399年に,プランタジネット朝からランカスター朝への王朝の交代が行われた時点にさかのぼり,また,有力な貴族たちが百年戦争遂行のために戦闘などの暴力行為を常習とする封建家臣団を抱えていたことが,紛争を激化させた。しかし,ばら戦争の結果,貴族層は深刻な打撃を被り,歴史上イギリスの中世は終りを告げ,チューダー朝の絶対主義時代に移行した。

ランカスター朝3代目のヘンリー6世の治世に,ヨーク公リチャードランカスター家以上にヨーク家王位継承権が正当であると主張して決起,戦争は1455年セント・オールバンズの戦で始まった。これ以後,封建家臣団を擁して戦闘の機会をうかがっていた貴族がしだいにランカスター,ヨークの両派に系列化されて,断続的に戦闘が繰り広げられた。60年ウェークフィールドの戦でリチャードは戦死し,いったんはランカスター派の勝利にみえたが,リチャードの志を継いだ長男のエドワードは翌年タウトンでランカスター派を破り,ヨーク朝エドワード4世として即位,ヘンリー6世は国外に逃れた。ところがエドワード4世の擁立に功績のあったウォリック伯が反乱を起こし,70年再びヘンリー6世を王位につけた。これに対し,フランスに亡命したエドワード4世は勢力を回復して71年帰国し,ウォリック伯,次いでヘンリー6世を敗死させた。かくてヨーク朝のエドワード4世の治世においてイギリスは平穏さを取り戻した。しかし,その死(1483)後,後継者が幼かったため前王の弟グロスター公リチャードが摂政になると,彼は前王の2人の遺児をロンドン塔に幽閉して殺害したらしく,83年即位してリチャード3世と称した。この国王はその性格の残忍さでヨーク派内部からも恐れられ,またヨーク朝はフランスのブルターニュと結んでいたためフランス国王の警戒を買った。フランス国王シャルル8世は自国に亡命していたランカスター家の傍系に属するリッチモンド伯ヘンリー・チューダーを助けて,イギリスに攻めこませた。85年ヘンリーがウェールズに上陸すると,ヨーク派にも分裂が生じ,リチャード3世はボズワースの戦場で奮戦したが戦死した。ヘンリーは即位してヘンリー7世となってチューダー朝を始め,86年にはヨーク家の王女エリザベスと結婚して両派の和解がなり,ここに30年に及ぶばら戦争は終結をみた。

ふつうランカスター派が紅バラ,ヨーク派が白バラを標識にして戦ったために〈ばら戦争〉と呼ばれたとされている。しかし事実は,たしかにヨーク派は白バラを用いたが,ランカスター派の標識は別のものであった。ランカスター派の標識として紅バラが連想されるようになったのは,両派の争いに終止符を打ったチューダー家がその標識に紅と白のバラを採用したためであって,〈ばら戦争〉という呼称自体も16世紀以後のものである。なお,ばら戦争については,シェークスピアが史劇《リチャード3世》(1593ころ作)で描いているが,チューダー朝の王位継承を正当化するために,リチャード3世を事実以上に残虐非道な国王に仕立てている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ばら戦争」の意味・わかりやすい解説

ばら戦争
ばらせんそう
War of the Roses

1455年から85年まで30年間、ランカスターとヨーク両王家の間で戦われたイギリスの内乱。この名称は、ヨーク派が白ばら、ランカスター派が赤ばらを記章としたことにちなむが、内乱当時はヨーク派の白ばらだけが用いられた。内乱の遠因は、ランカスター朝ヘンリー6世の政府が弱体で、百年戦争の終結(1453)に伴い帰休兵が加わって膨張した武装家臣団を抱える大貴族に、法と秩序を無視する不穏な動きが強まっていたことにある。これらの大貴族は、ヘンリー6世を支持する派(指導者はサマーセット公)と、ヨーク公リチャードが率いる反国王派とに分かれ対立していたが、53年王が精神異常をきたしたため、ヨーク公が摂政になった。しかし同年秋に王妃が男児を出産し、王の病も翌年平癒したことから、野心ある王妃マーガレットはサマーセット公を摂政に任じた。これがヨーク公決起の因となり、戦端が開かれた。55年5月、セント・オルバンズの戦いで王は捕らえられ、ヨーク派が権力を奪ったのもつかのま、翌年王妃の反撃を受けて敗れ、ヨーク公と甥(おい)ウォーリック伯はフランスに亡命した。60年、同伯の活躍により帰国したヨーク公は王位を宣言したが、王妃の反抗に敗死する。翌61年、ヨーク公の子エドワードが再起し、王妃を撃破して王位に上り、エドワード4世となった(ヨーク朝の創始)。ウォーリック伯はエドワード4世の政策に対し、大陸に亡命中の先王の妃マーガレットと手を組み反乱を起こすが、71年バーネットの戦い、ついでチュークスベリーの戦いでエドワード4世は決定的勝利を収めた。以後王権は強化されたが、83年王位が幼王エドワード5世に移ると、伯父グロスター公が王を謀殺してリチャード3世を宣した。やがてランカスター派ただ1人の王位継承権者ヘンリー(チューダー家)が亡命先から帰国し、85年ボズワースの戦いでリチャードを倒した。新王ヘンリー7世はチューダー朝を開き、ここに両王家の内乱は終わった。

[松垣 裕]

『城戸毅著『バラ戦争、血讐の三十年』(『世界の戦史5 中世と騎士の戦争』所収・1985・講談社)』


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百科事典マイペディア 「ばら戦争」の意味・わかりやすい解説

ばら戦争【ばらせんそう】

英国の内乱。ヨーク家のリチャードがランカスター家の国王ヘンリー6世に王位を要求し,1455年内乱勃発(ぼっぱつ)。国内貴族は2派に分かれて戦った。1461年以後ヨーク家が覇権を握り,リチャードの長子のエドワード4世からエドワード5世,リチャード3世と続いて即位。しかし1485年ランカスター家の流れをくむヘンリーがリチャード3世を敗死させ,ヘンリー7世としてチューダー朝を開き,戦争を終結させ,ヨーク家のエリザベスと結婚して両派の和解を図った。この戦争は王位継承に名をかりた封建貴族の私闘で,貴族は共倒れとなり,絶対王制への道が開けた。ヨーク家,ランカスター家の紋章がそれぞれ白バラ,赤バラであったことからこの名があるとするのは俗説。
→関連項目イギリスエドワード[4世]騎士百年戦争ヘンリー[6世]ヘンリー[7世]ヨーク朝ランカスター朝リチャード[3世]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ばら戦争」の意味・わかりやすい解説

バラ戦争
バラせんそう
War of the Roses

1455~85年イングランドのランカスター家とヨーク家との間で王位をめぐって戦われた内乱。両家の紋章がそれぞれ赤ばら,白ばらであったのでこの名があるが,実質的には百年戦争の敗北により大陸領土を失って引揚げてきた封建貴族の2派に分れての生存闘争。ランカスター家の王ヘンリー6世の病弱に乗じて,ヨーク家のリチャードは 55年セントオールバンズの戦い,60年ノーサンプトンの戦いでランカスター派を破って勢力を増大したが,61年ランカスター派に殺された。しかしリチャードの子ヨーク公エドワードは 61年タウトンの戦いでランカスター派を破ってヘンリー6世を廃位,みずからエドワード4世として即位,ヨーク朝を樹立した。その後,エドワード登極に功のあったウォリック (伯)と対立し,ウォリックはフランスに逃れて,ランカスター派と結び,70年イングランドに侵入,エドワードを追放してヘンリー6世を復位させた。しかし 71年エドワード4世は勢力を回復,バーネットの戦いでウォリックを破って復位し,ヘンリー6世を殺した。 83年エドワード4世が病没して子の幼王エドワード5世が即位すると,叔父のヨーク公リチャードが新王を殺してリチャード3世として即位した。この間ランカスターの一族リッチモンド伯ヘンリー・チューダーが勢力を拡大,85年8月ボズワースの戦いでリチャード3世を敗死させ,ヘンリー7世として即位,チューダー朝を開いた。 86年王はエドワード4世の娘エリザベスと結婚して両家の和解をはかったので,翌年内乱は治まった。この戦いで封建貴族の勢力は衰え,王権が伸張,イングランドは絶対王政期に入った。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ばら戦争」の解説

ばら戦争(ばらせんそう)
Wars of the Roses

イングランドで1455~85年に戦われた貴族による内乱。王位争奪をめぐって貴族がランカスター家ヨーク家を支持する2派に分かれて私闘を繰り返した。結果として共倒れに終わり,ランカスター派の傍流に位置したテューダー家のヘンリ7世が新しい王朝を開くことになった。なお「ばら戦争」という命名とその根拠として赤白のばらが両派の標識となったとするのは,後世の創作。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ばら戦争」の解説

ばら戦争
ばらせんそう
Wars of the Roses

百年戦争終結後の1455年に起こり,85年まで行われた,イギリスのランカスター・ヨーク両家を中心とした王位継承をめぐる内乱
ヨーク家が白ばら,ランカスター家が赤ばらの紋章をつけて戦ったのでこの名がある。一時ヨーク家が王位継承権を得たが,1485年ボスワースの対戦でヨーク側が敗れ,婚姻による両家の合体によって戦争は終結し,ランカスター家ヘンリ7世が即位してテューダー朝が成立した。この内乱を通じてイギリス封建貴族の大半は没落し,イギリスは絶対主義の時代にはいった。

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