コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ビアフラ戦争 ビアフラせんそうNigerian Civil War

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ビアフラ戦争
ビアフラせんそう
Nigerian Civil War

ナイジェリア連邦共和国の東部州の分離,独立をめぐる戦争。同州は 1967年5月 30日ビアフラ共和国として一方的にナイジェリア連邦からの分離,独立を宣言。同年7月6日連邦政府軍は東部州に進撃,内戦となった。そして約2年半に及ぶ戦闘ののち,70年1月 11日ビアフラの臨時首都オウェリが陥落,指導者 C.オジュク将軍 (元連邦政府東部州軍政長官) は国外に逃亡,同月 15日ナイジェリア最高軍事評議会議長 (事実上の元首) Y.ゴウォン将軍の内戦終結宣言で終息した。この間,ビアフラ側の死者は餓死,戦死を含めて約 200万人で,「人類史上まれにみる悲劇」として世界の関心を集めた。この内戦は,イギリス植民地時代の分割統治による東部のイボ族と北部のハウサ族との部族対立が最大の原因。内戦をめぐり,イギリスとソ連は連邦政府に,フランスはビアフラにそれぞれ軍事援助を行い,戦火拡大を招いたため,大国のエゴイズムとして国際的な非難を浴びた。なおビアフラ共和国の独立に対して大部分のアフリカ諸国は冷淡な態度をとり,コートジボアール,ガボン,タンザニア,ザンビアの4ヵ国がこの新国家を承認しただけであったが,それはほとんどのアフリカ諸国が,ビアフラ承認によって自国内の分離主義的傾向に拍車をかけることを恐れたためでもあった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

ビアフラ‐せんそう〔‐センサウ〕【ビアフラ戦争】

1967年から1970年にかけて行われたナイジェリアの内戦。東部州のイボ族がビアフラ(Biafra)共和国として分離・独立を宣言したが、多数の戦死者・餓死者を出した末に鎮圧された。ナイジェリア戦争

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

ビアフラ戦争【ビアフラせんそう】

1967年―1970年にわたるナイジェリアの内戦。ナイジェリアの旧東部州のイボ人を中心とする住民が,1967年5月30日,ハウサ人が中核を占める連邦政府に対し,〈ビアフラBiafra共和国〉の独立を宣言。
→関連項目アフリカイボエヌグ国境なき医師団ナイジェリアフジポート・ハーコート

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ビアフラせんそう【ビアフラ戦争】

西アフリカのナイジェリア連邦共和国で,1967年7月から70年1月まで継続した内戦で,東部のイボ族と北部のハウサ族との間の部族間・地域間対立が根本的原因であった。1966年8月のクーデタで成立したゴウォン国家元首は,各州間の対立を軟化させるため,67年5月,従来の4州制を改めて北部州を6分割,東部州を3分割するなどの12州制への移行を発表した。これに対して東部州軍政知事でイボ族のオジュクは,直ちに東部州のビアフラBiafra共和国としての分離独立を宣言した。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ビアフラせんそう【ビアフラ戦争】

1967~70年のナイジェリアの内戦。部族間対立により東部州のイボ族が「ビアフラ(Biafra)共和国」として独立を宣言。戦闘状態となり、多数の餓死者を出した末、ソ連・イギリスの援助を受けた政府軍によりビアフラは崩壊。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ビアフラ戦争
びあふらせんそう

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のビアフラ戦争の言及

【アフリカ】より

…大小250以上の部族を擁する西アフリカのナイジェリアは,そうした分裂要因に悩まされてきた国の典型である。1967年7月から70年1月にかけて起こった内戦(ビアフラ戦争)は,北部(最大の部族であるハウサ族,フラニ族の居住地域)優位の政治に対する東部のイボ族の不満が高まり,東部がビアフラ共和国として分離独立を宣言したことに起因するものであったし,より古くは国連軍派遣という事態にまで発展した第1次コンゴ動乱(1960年7月~63年1月)も,部族対立,地域対立がからんだ内部紛争であった。90年代にいっそう激化しているルワンダやブルンジのツチとフツの根強い対立や,スーダン,コンゴ,ソマリアなどの内戦も,分裂要因の具体的事例としてあげることができる。…

【イボ族】より

…これらの事情が他部族からの反感を招く素地になったといわれている。 1967年から70年にかけてのビアフラ戦争は,石油資源をめぐる戦争であったが,イボ,ハウサ,ヨルバというナイジェリアの大部族間の抗争・対立にも根深い原因があった。ビアフラ共和国としての,ナイジェリア連邦からの分離独立の宣言は,泥沼の戦いをイボ族に強いた。…

【ナイジェリア】より

…これらの部族は人口も500万から1000万以上を数え,もはや部族ということばはあてはまらない。そのほか100以上の部族が居住しており,言語,文化の異なる部族の分化傾向が強く,国全体の政情は不安定で,ビアフラ戦争はその破綻の一例であった。 ヨルバ族はクワ語群に属するヨルバ語を話し,その人口は1000万を超え,隣国のベニンにも居住している。…

※「ビアフラ戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

ビアフラ戦争の関連キーワードチママンダ・ンゴズィ アディーチェ近・現代アフリカ史(年表)オルセグン オバサンジョO. オバサンジョオバサンジョエクウェンシフォーサイスアウォロウォショインカアジキウェアチェベオニチャオカラオキボ飢饉

今日のキーワード

桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す

《「史記」李将軍伝賛から》桃やすももは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。徳望のある人のもとへは人が自然に集まることのたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

ビアフラ戦争の関連情報