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ピット[小] ピット

百科事典マイペディアの解説

ピット[小]【ピット】

英国の政治家。大ピットの次男。小ピットと呼ばれる。初めホイッグ党員。1783年24歳で首相となり17年間国政を指導,アメリカ独立戦争後の財政再建・産業振興・自由貿易推進に尽力,他方では国内の急進的改革運動を抑圧して政党政治を確立した。フランス革命の急進化に対して,1793年第1次対仏大同盟を結成,指導。1801年アイルランド問題で国王ジョージ3世と対立して辞職。1804年再組閣し,第3次対仏大同盟を結び戦いを継続したが,アウステルリッツの敗戦に打撃をうけて病没。
→関連項目カースルレーキャメロントーリー党ロンドン通信協会

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世界大百科事典 第2版の解説

ピット[小]【William Pitt】

1759‐1806
イギリスの政治家。ウィリアム・ピット(通称大ピット)の次男で,小ピットと通称される。1781年下院議員に選出され,ホイッグ党系の野党シェルバーン派(元来大ピットを指導者とし,チャタム派ホイッグと呼ばれる)に所属。82年7月シェルバーン伯政権の蔵相抜擢(ばつてき)されるが,同政権は1年も続かず,アメリカ独立戦争の講和条約はポートランド公を首相に担ぐフォックス=ノース連立政権の手によって調印された(1783年9月)。

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世界大百科事典内のピット[小]の言及

【ジョージ[3世]】より

…しかしそれまでの間に,首相以下議会寡頭政治家の手にわたっていた官職推挙権は,その大半が国王のもとに奪回されたといわれる。王がフランス革命とその後の対仏戦争を少壮気鋭の首相小ピットの内閣(1783‐1801,1804‐06)のもとで迎えたことは幸運だった。王の全面的な信任を受けて議会内に再建トーリー党の支配を実現させたピット首相のもとで,責任内閣制度はほぼ確立したといえよう。…

※「ピット[小]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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