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ピール ピールPeale, Charles Willson

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ピール
Peale, Charles Willson

[生]1741.4.15. メリーランドクイーンアンズ
[没]1827.2.22. フィラデルフィア
アメリカの画家。初め馬具製造,時計屋,銀細工屋。 1766年からロンドンで絵を学び肖像画家となったが,アメリカに戻り 76年にフィラデルフィアに定住。 G.ワシントンなど多くの有名人の肖像画を描いた。彼の 17人の子供のうち5人の息子は画家となり,弟のジェームスも画家として知られた。その息子と4人の娘もいずれも画家となり写実的技法で多くの肖像画,静物画を描いた。

ピール
Peel, Sir Robert

[生]1788.2.5. ランカシャーベリー
[没]1850.7.2. ロンドン
イギリスの政治家。オックスフォード大学を出て,1809年 21歳で下院議員,トーリー党所属。 10~12年陸軍および植民地次官,12~18年アイルランド相。アイルランドに対しては,カトリック教徒解放運動を鎮圧し,アイルランド警察隊を創設するなど,強硬策を行う反面,17年の飢饉の際は,救済用積立基金と穀物分配制度の実施によって危機を切抜けた。その後,リバプールウェリントン両内閣の内相 (1822~27,28~30) として,刑法改正ロンドン警視庁の設置,審査法の廃止 (28) ,カトリック教徒解放法の発布 (29) などを実現させた。 34年保守党首領として内閣を組織,タムワース宣言を発して保守党の方針を示したが,議会の多数を得られずに翌年瓦解。 41年再度組閣。任期中ピール銀行条例を制定,さらに最大の課題であった穀物法撤廃法案を可決成立させた (46) 。このとき保守党内部の強い抵抗を受け,内閣を辞職。保守党は分裂。 50年落馬により死去。

ピール
Peele, George

[生]1556頃.ロンドン
[没]1596頃.ロンドン
イギリスの劇作家,詩人。オックスフォード出身の「大学出の才人」の一人。在学中から抒情詩人として名高く,牧歌劇,歴史劇,メロドラマ,悲劇,民話劇,野外劇と多方面に活躍。 1581年エリザベス女王の前で上演された牧歌的仮面劇『パリスの審判』 The Arraignment of Paris (1584) 以外はすべて公共劇場のために書いたもの。『アルカザールの戦い』 The Battle of Alcazar (94) ,『エドワード1世』 Edward I (93) ,風刺喜劇『老妻物語』 The Old Wives Tale (95) ,悲劇『ダビデ王とバテシバ』 The Love of King David and Fair Bethsabe (99) など。

ピール
Piles, Roger de

[生]1635. クラムシー
[没]1709.4.5. パリ
フランスの画家,文筆家。外交官として各地で美術作品に触れ,絵画における自然模倣を強調。美術アカデミーを中心とする色彩 (ルーベンス) 派と素描 (プーサン) 派の論争で,前者の指導的役割をになってル・ブランと対立し,18世紀のロココ的世界を導いた。主著『原理に基づく絵画論』 Cours de peinture par principes (1708) 。

ピール
Pire, Dominique Georges

[生]1910.2.10. ディナント
[没]1969.1.30. ルーバン
ベルギーのドミニコ会士。 1937~47年ラ・サルトの神学校で教えつつ貧民救済活動に従事。第2次世界大戦中は抵抗運動に参加。戦後難民問題と取組み,49年から救助機関を各地に設立し,「友愛の対話」による積極的平和の実現に努めた。ベルギーのホイに青年教育のための「マハトマ・ガンジー平和機構」 (のちの平和大学) を創立。 62年からパキスタンインドで国際的共同体計画「平和の島」を実現した。ヨーロッパの難民救済によって 58年のノーベル平和賞を受賞。著書に『平和建設』 Bâtir la paixがある。

ピール
pīr

ペルシア語で「老人」の意。中世ペルシア語の pīr (年老いた) に由来する。アラビア語シャイフとほぼ同義。一般にイランでは,種々の共同体内の「長老」をさし,特に宗教団体,宗派の長や創設者など精神的指導者に対する敬称として用いられた。

ピール
Peale, Rembrandt

[生]1778.2.22. ペンシルバニア,バックスカウンティ
[没]1860.10.3. フィラデルフィア
アメリカの画家。 C.W.ピールの子で,1803年にロンドンのロイヤル・アカデミーに入学。 08~10年にはパリでナポレオン宮廷画家となり,14年に帰米してボルティモアピール美術館を創設。 22年以後ニューヨークボストンなどで肖像画家として活躍。兄のラファエル (1774~1825) も静物画を得意とする画家であった。

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デジタル大辞泉の解説

ピール(peel)

《candied peel(砂糖漬けの皮)の略》柑橘(かんきつ)類の皮を煮て砂糖漬けにしたもの。洋菓子などの製菓材料にする。

ピール(Peel)

英国イングランドとアイルランドの間にあるマン島の西部の町。陸繋島セントパトリック島、カッスルタウンに首都が移るまでマン島の王の居城だったピール城、バイキングやマン島の海事史に関する博物館ハウスオブマナナンがある。

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百科事典マイペディアの解説

ピール

英国の政治家。1809年以後トーリー党下院議員。2度内相(1822年―1827年,1828年―1830年)となり,審査法の廃止,旧教徒解放など国内改革を推進。1834年首相となり,その内閣は短命に終わったが,トーリー党を近代的な保守党に脱皮させた。
→関連項目保守党(英国)

ピール

ベルギーの平和主義者。ドミニコ会の神父。長く貧困家庭の救済事業に従事,第2次世界大戦後は戦災孤児や東欧からの難民の救済運動に当たった。1958年ノーベル平和賞。

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世界大百科事典 第2版の解説

ピール【Robert Peel】

1788‐1850
イギリスの保守党政治家。現実的な保守主義者で,ロマン的保守主義者のディズレーリと好対照をなす。ランカシャーの出身。父は当代屈指の綿業家で下院議員でもあった。ハロー校を経て1808年にオックスフォード大学を最優秀の成績で卒業,翌年,直ちに下院議員となり,トーリー党に属した。10‐12年,陸相リバプールの下で陸軍次官兼植民次官を務め,これが機縁となって,長期リバプール政権(1812‐27)下でアイルランド事務相(1812‐18)と内相(1822‐27)の重責を果たした。

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大辞林 第三版の解説

ピール【peel】

( 名 ) スル
皮をむくこと。
果物、特に柑橘かんきつ類の皮。

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世界大百科事典内のピールの言及

【工場法】より


[イギリス]
 産業革命が生んだ工場制度は生産力の飛躍的発展をもたらしたが,他面,児童や婦人の長時間労働,事故の多発,〈工場熱〉(18世紀末の紡績工場を襲った原因不明の熱病)の流行,風紀の乱れなど,さまざまの社会問題をひきおこした。このためイギリスでは1802年,人道主義の立場を代表するロバート・ピールの提案によって,綿工場で働く児童労働を保護する〈徒弟健康風紀法Health and Morals of Apprentice Act〉が制定された。世界最初の工場立法である。…

【スコットランド・ヤード】より

…1603年以後,イングランドとスコットランドは1人の王の統治下(同君連合)となり,さらに1707年両国は合同したため,この屋敷は不要となり,政府所管となった。 1829年,R.ピール内相のもとではじめて首都警察(すなわちロンドン警視庁)が設けられたとき,この建物を本拠とした。表玄関側の通りがホワイトホール・プレース,裏側の通りがスコットランド・ヤードと呼ばれていたが,なぜか裏通りの名のほうが有名となり,以後警視庁の別名となってしまった。…

【ディズレーリ】より

…40年代最大の政治問題は穀物法廃止,すなわち穀物貿易を自由化するかしないかという問題であったが,農業の利害に強く執着したディズレーリは廃止に反対であった。だが,時の保守党党首R.ピールは,このころマンチェスター派の自由貿易論者に改宗しており,こうして両者は真正面から対立するにいたった。ディズレーリは,彼の代表的な政治小説《コニングズビー》(1844)を著してピールを非難・攻撃する一方,党内に〈青年イングランド党〉という小会派をおこした。…

【ピール銀行法】より

…1844年7月制定のイングランド銀行特許(更新)法Bank Charter Actのことで,時の首相R.ピールにちなんでピール銀行法と通称されている。ピール銀行条令ともいわれる。…

【保守党】より

…なお集権的な内務・警察機構や常備軍の発達が微弱だったことから,過激な対抗運動に対して実力弾圧の余地が少なく,かつ相対的に富裕で開明された貴族・地主には,買収や譲歩などの政治性の濃い対応余地の大きかったことが,保守党に柔軟な漸進主義を許容する土譲となった。 発生の直接起源は,選挙法改正要求に代表されるような改革運動の急進化のみならず,これに反発して過剰な現状維持に走る頑迷派トーリーにも対抗するため,E.バークの保守的政治哲学やフランスから輸入された〈保守の党parti conservateur〉の概念をよりどころに,R.ピールが中心となりトーリー党が保守党に再編された1834年にさかのぼる(もっともそれ以降もトーリーという呼称は保守党と同義で頻繁に用いられる)。46年の穀物法撤廃を契機に,ピールら党中枢議員と一般議員・農村支持層との対立が激化し,非ピール派の党本体は一時〈保護主義党Protectionist Party〉を名のって翌年の総選挙以降分裂が表面化する(非ピール派に近代保守党の起源を求める有力な見解もある)。…

※「ピール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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