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フィルモア Fillmore, Millard

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フィルモア
Fillmore, Millard

[生]1800.1.7. ニューヨーク,ロックタウンシップ
[没]1874.3.8. ニューヨーク,バッファロー
アメリカの政治家。第 13代大統領 (在任 1850~53) 。ニューヨーク州出身。独学で 1823年に弁護士になり,28年ニューヨーク州議会議員,33~35,37~43年連邦下院議員,48年副大統領になり,Z.テーラー大統領の死去によって 50年に大統領に就任した。「1850年の妥協」に含まれる逃亡奴隷法励行を強調したためホイッグ党の解体をきたした。東部と西部の調和と統一をもはかったが,太平洋地域へのアメリカ影響力の拡大に関心を向け,M.ペリー艦隊を日本に派遣した。 56年以降政界から引退した。

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デジタル大辞泉の解説

フィルモア(Millard Fillmore)

[1800~1874]米国の政治家。第13代大統領。在任1850~1853。ホイッグ党。下院議員などを経て、1849年に副大統領に就任。第12代大統領テーラーが在任中に病死したため、大統領に就任した。1852年には、ペリーを日本に派遣した。→ピアース

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百科事典マイペディアの解説

フィルモア

米国の政治家。第13代大統領(1850年―1853年)。ホイッグ党。1848年同党副大統領として当選するが,テーラー大統領の死去により大統領に昇格。1852年にはペリーの率いる艦隊を日本に派遣し,日本に開国を求め,神奈川条約を結ぶことに成功した。

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世界大百科事典 第2版の解説

フィルモア【Millard Fillmore】

1800‐74
アメリカ合衆国第13代大統領。在職1850‐53年。1829年ニューヨーク州西部選出の反メーソン党州下院議員,33年連邦下院議員を経て,48年ホイッグ党副大統領候補として当選した。50年7月テーラー大統領の死後政権を担当し,カリフォルニアの連邦編入をめぐる南北の対立を妥協に導き,52年にはペリーを日本に派遣した。しかし52年選挙では北部の支持が得られずホイッグ党大統領候補の指名を逸し,56年にはノー・ナッシング党候補となったが落選した。

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大辞林 第三版の解説

フィルモア【Charles John Fillmore】

1929~ ) アメリカの言語学者。場所格・道具格など意味的な格を導入した独自の「格文法」を提案した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フィルモア
ふぃるもあ
Millard Fillmore
(1800―1874)

アメリカ合衆国第13代大統領(在任1850~53)。1829年反メーソン党ニューヨーク州下院議員、33年連邦下院議員を経て、48年ホイッグ党副大統領として当選。50年6月タイラー大統領の死後政権を担当し、カリフォルニアの連邦編入をめぐる南北対立を妥協に導き、52年にはペリーを日本に派遣した。同年の選挙では北部の支持が得られずホイッグ党候補の指名を逸し、56年にはノー・ナッシング党候補となったが落選した。[安武秀岳]

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