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フェリペ[2世] フェリペ

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百科事典マイペディアの解説

フェリペ[2世]【フェリペ】

スペイン国王(在位1556年―1598年)。ハプスブルク家カール5世の子で,熱烈なカトリック教徒。英女王メアリー1世の夫。スペインポルトガルナポリミラノネーデルラント,アメリカ大陸,フィリピンにわたる世界帝国を支配,レパントの海戦トルコに大勝した。
→関連項目カベソン乞食団サン・ペドロ・デ・ラ・ロカスペインドン・カルロスハプスブルク[家]フェリペ[3世]マドリードメンドサモラーレスルドルフ[2世]

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世界大百科事典 第2版の解説

フェリペ[2世]【Felipe II】

1527‐98
スペイン王。在位1556‐98年。神聖ローマ帝国皇帝を兼ねた父カルロス1世(カール5世)からスペインとその海外領土(インディアス,ナポリ,シチリアサルデーニャ)およびミラノとフランドルを継承し,1581年には母親がポルトガル王家出身であったことから,断絶によって空位となったポルトガル王位をも占め,その支配圏は未曾有の広がりをもった。 版図の拡大は国際政治におけるスペインの責任と負担の増大につながった。

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世界大百科事典内のフェリペ[2世]の言及

【エル・エスコリアル】より

…スペインの首都マドリードの北西約50kmにある王室修道院・離宮。スペイン・ルネサンス建築の完成を示すもので,また反宗教改革の旗手を任じたフェリペ2世の時代の一大記念碑である。聖ラウレンティウス(サン・ロレンソ)に捧げられ,正式名称はサン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル修道院。…

【エレラ様式】より

…スペイン・ルネサンス建築の代表作エル・エスコリアル修道院・離宮の建築家フアン・デ・エレラJuan de Herrera(1530‐97)にちなんだ様式名。対抗宗教改革の推進者フェリペ2世のいう〈単純な形態,厳正な総体,気負いなき気品,虚飾なき威厳〉を実現した様式である。エル・エスコリアルにみるような左右対称の構成,装飾的な要素の排除,長方形を主体とした開口部など純然たる構造そのものを旨とする峻厳な様式。…

【オランダ】より

…ロッテルダムのエラスムスは生涯の多くを国外で過ごしたが,平和と寛容を基調とする彼の人文主義はのちのちまでこの地方の市民に大きな影響を与えた。
[オランダ共和国――経済,文化の黄金時代]
 1555年カール5世はネーデルラントの統治を息子フェリペ2世(スペイン国王,在位1556‐98)の手にゆだねた。59年以後スペインに住むフェリペはブリュッセルに執政を置いて,ネーデルラントを統治させた。…

【オランダ共和国】より

ネーデルラント北部の7州がユトレヒト同盟(1579)を結成し,スペイン国王フェリペ2世の統治から独立して建国した連邦共和国。正式には〈ネーデルラント連邦共和国〉。…

【シチリア王国】より

…国家や有力な領主の収奪の結果,経済はしだいに衰え,治安も悪化した。フェリペ2世(在位1556‐98)は山賊や領主層の反乱を鎮圧することに努力した。16世紀のシチリアはなお西地中海の穀倉であり,そのほか絹,砂糖,ブドウ酒,皮革などを輸出し,手工業製品を輸入していたが,貿易はジェノバ,フィレンツェ,カタルニャなどの外国商人が支配していた。…

【スペイン帝国】より

…こうして結局カルロスは外敵トルコとの対峙以前にヨーロッパで相次ぐ戦争を強いられ,しかもひとつとして決定的な勝利を得られなかった。彼が帝位を弟のフェルディナントに,カスティリャとアラゴンの王位を息子フェリペに譲って失意のうちに退位したとき(1556),問題は何ひとつ解決されていないばかりか,彼の帝国政策の最大の支えとなったカスティリャの財政は早くも危機的な赤字を負っていた。これらはむろん王位とともにフェリペが引き継がなければならない遺産となった。…

【八十年戦争】より

…オランダ独立戦争ともいう。 スペイン国王フェリペ2世(在位1556‐98)の中央集権政策に対して身分的,地域的諸特権を擁護する貴族や都市の反抗,また厳酷なカトリック政策に対する新教徒や寛容派の反抗はすでに1560年前後に始まった。まず司教区制の改革をめぐる紛議ではオラニエ公ウィレム1世エグモント伯ら上級貴族が結束し,64年執政パルマ公妃マルガレータ(マルハレータ)Margarethaの側近筆頭グランベルA.P.de Granvelleを退去させたが,65年いっさいの政策変更を峻拒した王の〈セゴビア書簡〉を契機に反抗の主導権は下級貴族の手に移り,その〈貴族同盟〉は66年4月請願書を執政に提出して宗教迫害の停止を求めた。…

【ハプスブルク家】より

…また彼は長い対仏戦争とウィーンを包囲したオスマン・トルコの圧力のために,帝国では諸侯と妥協し,意に反する55年のアウクスブルク宗教和議の翌56年みずから退位し,ここにオーストリア系とスペイン系への両統分立が確定する。
[マドリードとウィーン]
 ネーデルラント,イタリアを含む全スペインを譲られたカール5世の子フェリペ2世(スペイン王,在位1556‐98)のもとでスペイン帝国は最盛期を迎え,反宗教改革の担い手としてマドリードに宮廷文化の華を咲かせたが,フランスに加えてエリザベス1世のイギリスを敵に回し,しかもオランダ独立戦争(八十年戦争)に直面する。88年の無敵艦隊の壊滅は早くも衰退のきざしとなった。…

【ベルギー】より

…また,ブリュッヘに代わって,アントウェルペンがヨーロッパ最大の商業都市として繁栄するなど,当時のベルギーは,経済・文化とも,ヨーロッパの最先進地帯であった。 しかし,1555年父カール5世からこれを相続したフェリペ2世(スペイン王。在位1556‐98)が,当時この地方に浸透していたプロテスタンティズムの弾圧と旧来の各地方や諸身分の特権を無視した絶対主義的な統治を企てたため,八十年戦争(オランダ独立戦争)が勃発した。…

【ペレス】より

…スペインの政治家。国王フェリペ2世の秘書であった父ゴンサーロ・ペレスの後を継いで,1567年に同国王の秘書となる。エボリ家などの大貴族の支援を受け,78年まで国王の対外政策に決定的な影響力を行使した。…

【ポルトガル】より

… 1557年ジョアン3世の死後,幼いセバスティアンが即位するとスペイン王室の影響が強まり,経済的にも東洋交易に不可欠な銀をスペインに依存するようになった。78年セバスティアンが無謀なモロッコ侵略戦争で戦死して2年後の80年,ポルトガル王位は,ジョアン3世の妹を母に,同じくジョアン3世の娘マリアを妻にもつスペイン王フェリペ2世の手に渡った。衰退期にあったポルトガルの貴族,商人層は,むしろスペインとの併合を望み,上昇期の1385年の危機とは際だった対照をみせている。…

【マドリード】より

…マドリードの発展・拡張は東に向かってなされ,今のプエルタ・デル・ソルPuerta del Solがその出発点となった。 何人かの王がマドリードに滞在することがあったものの,1561年にフェリペ2世が王室をマドリードに移すまで,マドリードは司教座もない村にしかすぎなかった。マドリードはスペイン帝国の中心となり,宮廷に伺候する貴族及びその一族,芸術家たちが集まり,人口は1万4000となった。…

【無敵艦隊】より

…1588年,スペイン王フェリペ2世がイギリス制圧のために派遣した艦隊。アルマダとも呼ばれる。…

※「フェリペ[2世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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