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イギリスの政治家,法律家。スコットランドの出身でエジンバラ大学に学び,弁護士を開業。文才にも恵まれて《エジンバラ・レビュー》の創刊に参加。1803年,イングランド法曹界の籍を獲得,05年,居をロンドンに移した。10年に下院議員となり,容赦のない執拗な弁舌で奴隷貿易に反対し,神聖同盟を論難するなど,ジェントルマンらしからぬ特異な急進主義者として議会の内外に知られた。教育と法制度の改革にも熱心で,労働者教育の振興,裁判機構の合理化を主張し,28年には,ジェームズ・ミルらとともにロンドンに最初の市民大学(後のロンドン大学)を設立した。30年,ホイッグ党グレー内閣の大法官に迎えられ,第1次選挙法改正に尽力,34年までその職にあった。大法官在職中,奇怪ないす型の四輪馬車を乗りまわし,この馬車が後に改良されてブルーム型の馬車となった。また35年に南フランスのカンヌに別荘を開き,観光地カンヌの発展を先導した。
執筆者:村岡 健次
イギリスの人類学者。南アフリカ共和国で医業のかたわら古生物学を研究していたが,やがてビクトリア・カレッジの地質学・動物学の教授になった。69歳からあとはトランスバール博物館に属し,アウストラロピテクス化石発見の意義を認められずにいたR.ダートを支援する意欲に燃えて,猿人化石の発見に努力した。まず1936年から38年にかけて,住民の協力のもとに発見された化石にもとづき,ステルクフォンテイン出土のアウストラロピテクス(のちにプレシアントロプスに改名)・トランスバーレンシスと,クロムドライ出土のパラントロプス・ロブストスを記載した。現在,前者はアウストラロピテクス・アフリカヌスとされている。第2次大戦後も南アフリカの猿人化石の発見に活躍し,同僚のJ.ロビンソン,およびR.ダートとともに,猿人研究の基礎を築いた。
執筆者:岩本 光雄
ドイツの革命家。ケルンの貧民階層の家に生まれ,さまざまな職業を経たのち,1832年から劇場事務員としてライプチヒに定住する。40年代からはみずから出版社を興して新聞・雑誌の編集,発行に携わるとともに,文筆活動にも従事し,ザクセンにおける民主主義運動の中心人物となり,絶大な大衆的人気を博す。48年革命に際してはライプチヒからフランクフルト国民議会に選出される。同議会内での政治的立場は穏健左派であったが,同年10月のウィーン蜂起に際して議会内左派の代表団の一人としてウィーンに赴き,蜂起したウィーン・プロレタリアートを見捨てることなく最後までその地にとどまり,11月9日軍事裁判により銃殺刑に処される。
執筆者:松岡 晋
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イギリスの古生物学者。南アフリカの多くの猿人(アウストラロピテクス)化石の発見者、研究者として有名。医学を学んだが、のち古生物学を専攻し、南アフリカのトランスバール博物館に勤めた。助手のJ・T・ロビンソンとともに、猿人に分類されるプレシアントロプス、パラントロプス、テラントロプスなどを発見した。猿人がヒト科に属するというR・A・ダートの見解を早くから支持し、多様な猿人化石の分類学的研究を行った。
[埴原和郎]
オーストラリア北西部、ウェスタン・オーストラリア州北部の港町。人口1万8507(2001)。キンバリーズ地方西部の玄関口として1883年に開かれ、20世紀初頭に真珠貝採取で栄えた。日本人などアジア人が採取事業に従事したが、真珠貝需要の減少により1930年代以後、急速に衰退した。日本人墓地がある。
[谷内 達]
… 鋼の圧延素材としては,多くの場合鋳造によって得られるインゴットなどが用いられる。インゴットの場合には,均熱炉で約1200℃に熱して内部の温度分布を適切な状態にし,次に分塊圧延機にかけて,鋼塊の粗大な鋳造組織をこわしたり,気泡などを除いて,スラブ,ブルーム,ビレットなどの中間段階にまで加工する(分塊圧延)。インゴットを鋳造する際に直接この中間段階のスラブなどに加工する方法があり,これを連続鋳造という。…
…鋼塊鋳型には,正方形(条鋼用),矩形(条鋼,鋼板用),扁平形(鋼板用),丸形(鍛鋼用),多角形(鍛鋼用)など各種がある。鋼塊は分塊圧延によって角形断面をもつスラブslab(厚さ50mm,幅300mm以上),ブルームbloom(1辺130mm以上),ビレットbilletなどの中間製品にしたのち,各種の用途に振り向けられる。鋼塊の鋳込法には鋳型の上方から注入する上注法と,湯道を通って鋳型の下方から注入する下注法がある。…
…実際には,これらのものだけでなく,もっと多くのさまざまの物理量の組合せで決まる。すなわち,正反射光沢,シーン光沢,対比光沢,反射像の鮮明さ,ブルーム,表面の模様など物理量が複雑にからみ合っている。正反射光沢とは,物体の正反射方向の反射光強度,シーンとは反射面に対してぎりぎりに入射したときの正反射光の強度,対比光沢とは反射光と拡散光の強度比,反射像の鮮明さは照射光源のコントラストの高さ,ブルームとはつやの高い面のもやもやした感じ,表面の模様は目で認識できる程度の表面の凹凸の度合である。…
…なお,今から約500万年前の最古の猿人化石として,ケニアのトゥルカナ湖に近いロサガムで発見されている下顎片があり,きゃしゃな猿人のものに類すると言われているが,詳細は報告されていない。
[がんじょうな猿人]
1938年,R.ブルームが南アフリカのクロムドラーイで出土の化石にパラントロプス・ロブストゥスの学名を与えて以来,南および東アフリカで多数の化石が発見されてきた。東アフリカからは,1959年にL.リーキーがジンジャントロプス・ボイジイと名づけた頭骨化石が最初であるが,まもなくリーキー自身が,その学名を,アウストラロピテクス・ボイジイに変更した。…
…一部の猿人に与えられた名称で,ラテン語で〈類人〉という意味をもつ。1938年,R.ブルームが,南アフリカ共和国内にあるクロムドラーイ遺跡で出土の人類化石(頭骨)を民間人より手に入れ,それをパラントロプス・ロブストゥスの学名で記載したのが始まりで,きゃしゃな猿人アウストラロピテクスに対して,がんじょうな猿人パラントロプスとして有名になってきた。現在は学名をアウストラロピテクス・ロブストゥスとし,パラントロプスの名は亜属名ないしは単に通称として使用することが多くなっている。…
…ロンドンにあるイギリス最大の大学。1826年,急進主義者のH.P.ブルーム,J.ミル,それに非国教徒が中心になって,ロンドンに宗教色のないユニバーシティ・カレッジが設立(1828開校)され,ついで28年,それに対抗して国教会によりキングズ・カレッジが設立(1831開校)された。この二つのカレッジは,イングランドに生まれた最初の市民大学で,中流階級の子弟を対象に,自然,社会,人文の各分野にわたる諸学科を幅広く教授し,この点で中世以来のオックスフォード大学,ケンブリッジ大学とは著しい対照をなした。…
※「ブルーム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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