第2次大戦後の世界経済や国際金融を支える枠組み。1944年、連合国が米ニューハンプシャー州ブレトンウッズで取り決めた。自由貿易を通じ、経済成長と完全雇用を果たすことが目的。その実現に向け①国際通貨基金(IMF)②国際復興開発銀行③世界貿易機関(WTO)の前身に当たる関税貿易一般協定(ガット)―を創設した。
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第2次大戦後,アメリカとイギリス両国が中心となって構想し設立した国際通貨体制の名称。1944年アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズにおいて連合国通貨金融会議が開催され,通常ブレトン・ウッズ協定Bretton Woods Agreementsと呼ばれる二つの協定が締結された。この協定にもとづいて,46年6月に国際復興開発銀行(いわゆる世界銀行,IBRD)がその業務を開始し,翌47年3月に国際通貨基金(IMF)が同じく業務を開始した。ここに戦後の国際通貨体制を支える中心的機構が確立されたのである。
この体制は両大戦間における苦い経験にもとづいて構想されたものである。世界大恐慌に悩むアメリカ,イギリス,ヨーロッパ大陸諸国そして日本など,工業諸国はその国際収支の悪化と景気抑制による失業の増大を防ぐため,自国通貨の為替相場を競争的に切り下げ,輸出を増加させ輸入を減少させようとした。為替切下げ競争は同時に失業輸出競争であり,まさに近隣窮乏化政策であった。経済的対立はついに軍事的衝突へ発展した。この経験は為替相場の切下げを勝手に行うことの危険性を明示していた。ブレトン・ウッズ体制は,固定為替相場制をその中心にすえ,基礎的な国際収支の不均衡が生じないかぎり,各国はその固定相場を守るべきことを定めた。またこの体制は,ドル金為替を中心として国際的な固定相場体系をつくった。1ドルの法定平価は金1/36オンスときめられ,アメリカの連邦準備銀行は外国の中央銀行からのドルと金の交換を保証した(ドルの金交換性)。アメリカ以外の国はその通貨とドルとの交換比率を定めた(各国通貨のドル交換性)。一定比率のもとでのこの二つの通貨の交換性convertibilityを保証することは,この体制の維持に欠くことのできない条件であった。固定為替相場のもとで自由な外国為替取引を前提とするブレトン・ウッズ体制はIMF体制ともよばれ,西ヨーロッパ諸国はしばしば為替相場を変更したが,金のドル表示公定価格は変更されることなく1968年初めまで続いた。しかし同年3月にアメリカは事実上ドルと金の兌換(だかん)を停止し,体制の中核は崩れた。73年春までに主要国は固定相場制を放棄し,8月にはドルの金交換性は公式に停止され,ブレトン・ウッズ体制は終わった。
→国際通貨制度
執筆者:渡部 福太郎
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(絹川直良 国際通貨研究所経済調査部長 / 2007年)
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第二次世界大戦後の国際金融体制。1944年7月に開かれたブレトン・ウッズ会議でつくられた体制のため,そう呼ばれた。同会議では,国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD,通称世界銀行)の設立が決まった。IMFが通貨の固定レート制と安定化に必要な資金を融資し,世界銀行は復興開発を目的とした資金供与を行った。また,戦後の貿易自由化を促進した関税貿易一般協定(ガット)と併せて,戦後の国際経済システムをガット・IMF体制とも呼んだ。なお,71年8月のニクソン・ショック(金ドル交換停止)でIMFの金ドル本位制における固定レート制が崩れ,その後復活の試みがなされたが73年2月までにブレトン・ウッズ体制はほぼ崩壊したといわれている。
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1944年のブレトン・ウッズ協定にもとづく国際経済システム。固定相場制,自由貿易維持を目的とし,IMF・国際復興開発銀行に具体化された。貿易は著しく拡大したが,60年代になると体制安定化の役割を担うアメリカの経済力が低下し,71年8月アメリカは基軸通貨ドルと金の交換を停止。同年末10カ国蔵相会議がドル切下げを決定,主要国は73年までに変動相場制に移行し,本体制は崩壊した。
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…加盟国数181ヵ国(1996年末現在),出資割当総額(IMF協定により5年ごとに見直される)は約1453億SDR(1996年末)。1944年7月アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズでの連合国通貨会議において第2次大戦後の通貨体制(ブレトン・ウッズ体制)が合意された。この合意(ブレトン・ウッズ協定)に基づきIMFは45年12月に設立され,47年3月1日に業務を開始した。…
…〈国際経済法〉という法分野は,このような要請に応じてできあがってきたものである。第2次大戦後,アメリカの指導力を背景として,ブレトン・ウッズ体制が形成され,国際通貨基金(IMF),世界銀行,および,関税・貿易に関する一般協定(GATT(ガツト))を中心として,国際経済秩序が建設された。このようなブレトン・ウッズ体制は,たび重なる試練に直面しつつも,ともかくも現代に至るまで,国際経済の基本秩序となってきている。…
…それは現在の国際通貨制度の源流を求めていくとき国際金本位制に到達するからである。1944年7月アメリカのブレトン・ウッズに44ヵ国の代表が集まり,第2次大戦後の国際通貨制度の確立をめざして,いわゆるブレトン・ウッズ協定(ブレトン・ウッズ体制)に調印したが,その協定が示す国際通貨制度は金本位制の一種である金為替本位制であった。戦後の国際通貨制度の根幹となっている国際通貨基金(IMF)はこの協定にもとづき,47年3月に発足した。…
…
[戦後の資本主義]
第2次大戦後の世界経済の再建は,アメリカの主導のもとで,各国通貨の交換率を対外的にはなお金に裏づけられた米ドルに固定的に結びつけ,それを基礎に通貨・貿易を自由化し,世界経済の拡大をはかるという方法で行われた。ブレトン・ウッズ体制とよばれるこの世界経済の枠組みは,IMF,世界銀行,GATTなどの制度からなる,アメリカを中心とした国際的な通貨管理の体制であった。 このような枠組みのもとで,資本主義各国では経済の復興が進められ,その過程で政府による積極的な経済介入が定着した。…
…このほか通貨同盟として歴史的に知られているものには,ウィーン貨幣同盟(1857‐71),ラテン通貨同盟(1865‐1925),北欧通貨同盟(1873‐1924)等がある。また第2次大戦終結まで存在したポンド・ブロック,戦後のポンド地域,IMFを中心とするブレトン・ウッズ体制(ドルと金を準備通貨とする金為替本位‐固定相場制)も広い意味での通貨同盟であった。【鬼塚 雄丞】。…
…しかし国際通貨としてのドルの地位が確立し,完全なものとなったのは,第2次大戦後である。 第2次大戦後のブレトン・ウッズ体制のもとでの国際通貨体制はIMF体制(IMF)ともいわれ,固定相場制を維持する金・為替本位制(金・ドル本位制)であった。すなわち各国通貨はドルへ固定相場で釘付けし,ドルは金へ固定価格(金1トロイオンス=35ドル)で結びついていた。…
…またラテン・アメリカ諸国はこの時期に輸入代替的工業化に着手している。 第2次大戦終了を機にIMF(国際通貨基金),GATT(ガツト)(関税・貿易に関する一般協定),世界銀行(国際復興開発銀行)を3本柱とするブレトン・ウッズ体制が成立した。初期にはそれぞれ十分な機能を果たせず,アメリカの強いドル,片務的な自由貿易促進,巨額の援助によってそれぞれが補われたが,西ヨーロッパの復興が成り,いろいろな統制が撤廃され,貿易や為替の自由化が進んでくると,この体制のもとで世界貿易は第2の拡大期を経験した。…
※「ブレトンウッズ体制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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