プリュッカー(読み)ぷりゅっかー(その他表記)Julius Plücker

精選版 日本国語大辞典 「プリュッカー」の意味・読み・例文・類語

プリュッカー

  1. ( Julius Plücker ユリウス━ ) ドイツ物理学者数学者。近代幾何学の基礎の確立貢献。また、真空放電現象を研究し、陰極線発見した。著「解析幾何学体系」「代数曲線理論」など。(一八〇一‐六八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プリュッカー」の意味・わかりやすい解説

プリュッカー
ぷりゅっかー
Julius Plücker
(1801―1868)

ドイツの数学者、物理学者。1828年ボン大学数学教授、のちベルリンハレ大学教授を経て1836年ふたたびボン大学教授。1836年『解析幾何学体系』を著し、近代幾何学の基礎の確立に貢献した。その後ファラデー反磁性の発見に触発されて、1847年ごろから実験的物理学研究に転じた。1847年ボン大学物理学教授に就任の年に「結晶磁気の法則」を発見。また、1857年ボンの機械工ガイスラー製作によるガイスラー管を用いて気体放電研究を開始した。とくに、磁石の両極間に置かれた放電管中の光条が屈曲する現象に注目し、それを物質粒子の「磁気曲面」への集中によると説明、さらに、陽極に近いガラス壁が緑色蛍光を発する(陰極線に起因する)現象を発見した。1865年からもとの数学研究に戻り、線束の幾何学や四次元の空間について研究した。

[宮下晋吉]

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改訂新版 世界大百科事典 「プリュッカー」の意味・わかりやすい解説

プリュッカー
Julius Plücker
生没年:1801-68

ドイツの数学者,物理学者。ライン商人の家系に生まれ,ボン,ベルリン,パリの各大学で学んだ。1825年よりボン,ベルリン,ハレの各大学で教え,36年からは終生ボン大学にあって,初めは数学の,のちには実験物理学の講座を担当した。彼の数学上の業績は,当時新興射影幾何学を解析的方法で研究して,解析幾何学を立て直したことである。とくに,同次座標の概念を導入して,無限遠直線や双対の原理に明快な説明を与えたことと,双対の考えを平面代数曲線にまで広めて,特異点の研究を行い,今日,プリュッカーの公式と呼ばれている結果を示したことは不滅の業績といえる。また,物理学の分野においては,ガイスラー管を用いて真空放電現象を研究し,陰極に近いガラス壁が緑色の蛍光を放つことを発見(陰極線発見の先駆),また,スペクトルの輝線が物質に固有であることを発見,これが化学分析に有効であることを指摘した。弟子のヒットルフJ.W.Hittorfの論文から,同じ物質でも温度の違いによって異種のスペクトルを出すことを指摘し,水素,窒素などについて実証した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プリュッカー」の意味・わかりやすい解説

プリュッカー
Plücker, Julius

[生]1801.7.16. エルベルフェルト
[没]1868.5.22. ボン
ドイツの物理学者,数学者。ハイデルベルク大学,ベルリン大学,パリ大学に学んだのち,ボン大学の私講師 (1825) ,員外教授 (28) 。ボン大学での講義に基づいて有名な『解析幾何学の展開』 (2巻,28~31) が書かれた。 1829年に幾何学の基本要素は,点ではなくて,直線としてもよい,という直線幾何学の概念を発表し,この考えに基づいて双対原理を展開した。ハレ大学の数学教授 (34) ,再びボン大学の数学教授 (36) 。 40年代に入ると物理学の研究に転じ,ボン大学物理学教授 (47) を兼任。ガイスラー管に電流を通すとき,その内壁から出るケイ光が,磁界内で位置を変化することを発見,58年に詳細な論文を発表した。これは微粒子の発見に向けての,現代物理学の第1歩となった。 F.クラインはボン大学でプリュッカーの助手をしたことがある。

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百科事典マイペディア 「プリュッカー」の意味・わかりやすい解説

プリュッカー

ドイツの物理学者,数学者。1836年ボン大学教授。ガイスラー管を用いて真空放電現象を研究,陰極に近いガラス壁が緑色の蛍光を放つ(陰極線による)のを発見(1859年)。数学では射影幾何学を解析的方法で研究。→ガイスラー
→関連項目ヒットルフ

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世界大百科事典(旧版)内のプリュッカーの言及

【ゴルトシュタイン】より

…1881年に学位を取得し,おもに高真空中での電気放電を研究した。ドイツの物理学者プリュッカーJulius Plücker(1801‐68)が発見した陰極から発する放射線に対して陰極線の名を与え,数多くの実験を通してこの線に関するW.クルックスの説を批判した。さらに86年には,穴をあけた陰極を使用することによって,陰極線とは反対方向に穴をつき抜ける放射線があることを見いだし,陽極線の一種であるこの線にカナル線canal raysの名を与えた。…

【幾何学】より

…その基礎は,非調和比が射影的性質であることや,射影幾何学の双対性を見いだしたJ.V.ポンスレによって築かれた。これを継承して,シュタイナーJ.Steiner(1796‐1863)は二次曲線や二次曲面も射影的に扱えることを示し,A.F.メービウスやJ.プリュッカーは座標を導入して射影幾何学を解析幾何学として建設し,またシュタウトK.G.C.von Staudt(1798‐1867)はデザルグの定理を基としてそれを総合幾何学として建設した。
[非ユークリッド幾何学]
 ユークリッドがあげた5個の公準のうち,第5番目のものは〈1直線が2直線と交わり,同じ側の内角の和が2直角より小ならば,2直線は限りなく延長するとその側で交わる〉と述べられている。…

【ゴルトシュタイン】より

…1881年に学位を取得し,おもに高真空中での電気放電を研究した。ドイツの物理学者プリュッカーJulius Plücker(1801‐68)が発見した陰極から発する放射線に対して陰極線の名を与え,数多くの実験を通してこの線に関するW.クルックスの説を批判した。さらに86年には,穴をあけた陰極を使用することによって,陰極線とは反対方向に穴をつき抜ける放射線があることを見いだし,陽極線の一種であるこの線にカナル線canal raysの名を与えた。…

※「プリュッカー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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