ベリズモ
verismo
19世紀末にイタリアで興った文学運動。フランスのナチュラリスム(自然主義)と密接な関係をもち,イタリア国内でも他の世紀末文学運動と混ざりあい,ロマン主義的ベリズモ,頽廃的ベリズモ,といった呼称もみられる。厳密な意味での〈ベリズモ〉の規定は,批評家L.カプアーナが《現代イタリアの演劇》(1872)のなかでG.ベルガの文学作品を論じた部分に,多くを負っている。そしてベルガ自身,没我の視点に拠る自分の手法を,短編《ネッター》《グラミーニャの恋人》や長編《マラボリア家の人びと》の序文のなかで検討し,真実(デル・ベーロ)を目ざす文学と述べている。これから〈ベリズモ〉に〈真実主義〉の訳語をあてることもある。
1860年に統一を達成したイタリアは,より強力な近代国家を目ざす北イタリアと,統一によって期待を裏切られた南イタリアとに,大きく分かれていく。ベルガは相変わらずの圧制と貧困にあえぐシチリアの民衆の姿を描きだした。これに応じて,おもに南イタリアの各地で下層社会に光を当てた作品が発表されるようになり,〈ベリズモ〉は〈地方主義〉に言い換えられてもいく。ナポリに生まれてシチリアを舞台に大作《ビーチェレ》(1894)を著したデ・ロベルトFederico De Roberto(1861-1927),ナポリの貧民を描いた女流作家セラーオMatilde Serao(1856-1927),サルデーニャ島出身でノーベル文学賞を受けた女流作家G.デレッダ,ナポリの方言作家S.ディ・ジャーコモら。また,〈ベリズモ〉の劇作家としては,ベルガのほかに,コッサPietro Cossa(1830-81),G.ジャコーザ,プラーガMarco Praga(1862-1929)らがいた。
執筆者:河島 英昭
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世界大百科事典(旧版)内のベリズモの言及
【イタリア演劇】より
…またイタリア最大の悲劇作家[V.アルフィエーリ]が18世紀後半に活躍し,歴史,神話,聖書に材をとった悲劇作品を多く書いた。
[19~20世紀初頭]
ロマン主義の後,自然主義的演劇がヨーロッパでは生まれてくるが,イタリアではこれは〈[ベリズモ]verismo(真実主義)〉と呼ばれた。ベリズモの作家としては,[G.ベルガ]がおり,《牝狼》はよく知られた作品である。…
【イタリア美術】より
…1848年にイタリアの独立と統一を求める戦争が起こり,それはようやく70年のローマ併合により達成されたが,すでに産業革命を成し遂げ,着々と近代化しつつあった先進国に対し,イタリアは大きな遅れをとっていた。統一戦争に加わった愛国者たちは,国民の悲惨さを訴える〈ベリズモverismo(真実主義)〉に傾き,ミラノでは,イタリアのロマン派ともいうべき〈[スカピリアトゥーラ派]〉が出た。この中では彫刻家M.ロッソがロダンに劣らぬ悲劇的な生命力を表現した。…
【イタリア演劇】より
…またイタリア最大の悲劇作家[V.アルフィエーリ]が18世紀後半に活躍し,歴史,神話,聖書に材をとった悲劇作品を多く書いた。
[19~20世紀初頭]
ロマン主義の後,自然主義的演劇がヨーロッパでは生まれてくるが,イタリアではこれは〈[ベリズモ]verismo(真実主義)〉と呼ばれた。ベリズモの作家としては,[G.ベルガ]がおり,《牝狼》はよく知られた作品である。…
【イタリア音楽】より
…しかし19世紀に,ロッシーニ,ドニゼッティ,ベリーニ,次いでベルディらによって,今日でも世界の劇場をにぎわしている数々のオペラの名作が生み出された。 19世紀末ごろには,人間生活の激しい一断面を生々しく描き出すマスカーニ,レオンカバロらの[ベリズモ](真実主義)のオペラを経て,プッチーニの抒情の世界が展開されることになる。オペラの国になっていたイタリアにも,ドイツやフランスの刺激を受けて,19世紀の末ごろから,器楽や歌曲の創作の新しい道を開拓しようとする兆しが見え始めたが,イタリアの作曲家たちは,グレゴリオ聖歌をはじめとするイタリアの古い音楽の伝統に立ち返りつつ,それを近代的な音楽語法と結びつけることによって,新鮮な音の絵巻を繰り広げようとすることが多かった。…
【イタリア美術】より
…1848年にイタリアの独立と統一を求める戦争が起こり,それはようやく70年のローマ併合により達成されたが,すでに産業革命を成し遂げ,着々と近代化しつつあった先進国に対し,イタリアは大きな遅れをとっていた。統一戦争に加わった愛国者たちは,国民の悲惨さを訴える〈ベリズモverismo(真実主義)〉に傾き,ミラノでは,イタリアのロマン派ともいうべき〈[スカピリアトゥーラ派]〉が出た。この中では彫刻家M.ロッソがロダンに劣らぬ悲劇的な生命力を表現した。…
【イタリア文学】より
…これにほぼ前後して,同じくシチリア島パレルモに住む医師G.ピトレが民話を採集し,民俗学を興して,最も貧しい文盲の人びとの心の奥に科学の光を当て,《シチリア民間伝承文庫》25巻(1871‐1913)を著した。しかしながら,このように社会の暗部を明るみに出して,デル・ベーロ(真実)を描きだそうとめざした〈[ベリズモ](真実主義)〉も,ベルガ以後は文学的深化を遂げずに,単なる地方主義文学へと解消してしまった。そして真に社会的責務を果たす文学へと発展するためには,ファシズム期文学の呪わしい経験をへなければならなかった。…
【シチリア[島]】より
…[G.ベルガ](1840‐1922)は東海岸のカターニア市に生まれ,シチリア島がイタリア王国に組み込まれてゆく過程のなかで,統一国家から何の恩恵も受けず,従来と同じく弾圧され苦しみつづける民衆の姿を描いて,イタリアの文学的伝統を一挙に革新した。シチリア島の日常会話語を母体とするベルガの詩的散文は,長・短編小説群となって結実し,同じくカターニア市出身の評論家[L.カプアーナ]によって〈[ベリズモ](真実主義)〉と規定され,イタリア各地とくに南部諸地域に,リアリズム文学を勃興させ,地方主義文学と呼ばれるにいたった。デ・ロベルトFederico De Reberto(1861‐1926)や[L.ピランデロ]の長・短編小説も,また遅れて長編《山猫》一作を書き残したランペドゥーサGiuseppe Tomasi Di Lampedusa(1896‐1957)も,〈ベリズモ〉の周縁に位置している。…
※「ベリズモ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」