ベルヌ(英語表記)Jules Verne

デジタル大辞泉 「ベルヌ」の意味・読み・例文・類語

ベルヌ(Jules Verne)

[1828~1905]フランス小説家。近代空想科学小説先駆者とされる。作「月世界旅行」「海底二万里」「八十日間世界一周」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ベルヌ」の意味・読み・例文・類語

ベルヌ

  1. ( Jules Verne ジュール━ ) フランスの小説家。科学的冒険小説を書き、近代空想科学小説の先駆者とされる。代表作海底二万哩」「八十日間世界一周」など。(一八二八‐一九〇五

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改訂新版 世界大百科事典 「ベルヌ」の意味・わかりやすい解説

ベルヌ
Jules Verne
生没年:1828-1905

フランスの小説家。ロアール河口の港町ナントの代訴人の家庭に生まれた。父の希望に沿い,パリ大学法学部に学び,22歳で弁護士資格を取得する。しかし文学への思いを断ち切れず,劇場職員や株式の仲買人などをしながら,作家の道を目ざす。戯曲オペレッタの台本にも手を染めたが,科学的発見や発明への好奇心が強く,また多く探検家や地理学者とも知り合い,1851年ころにはすでに〈科学のロマン〉の壮大な構想を抱いていた。62年,卓越した出版人エッツェルとの運命的な出会いにより,《気球に乗って5週間》が日の目をみ,大評判をとる。以後40年余りにわたって書き続けられる《既知および未知の世界への驚異の旅》シリーズの第1作である。《地底旅行》(1864),《地球から月へ》(1865),《ハトラス船長の探検》(1866),《グラント船長の子どもたち》(1868),《海底2万哩Vingt mille lieues sous les mers》(1870),《80日間世界一周Le tour du monde en quatre-vingts jours》(1873),《神秘の島》(1875),《ミシェル・ストロゴフ》(1876),《2年間の休暇Deux ans de vacances》(1888。邦訳《十五少年》)などは今日でもなお世界各国で愛読されているし,繰り返し映画化もされた。日本では,川島忠之助訳《80日間世界一周》(1878),森田思軒訳《十五少年》(1896年)など,明治の翻訳文学史上で大きな位置を占めた。彼は科学小説,SF小説の始祖であるばかりでなく,科学技術を土台とした人類文明の明るい側面のみか,自己破壊にもつながる不安ななりゆきをも予感していた思想家でもある。R.ルーセルが述べたように〈少年少女文学〉の作家といって片づけるには〈あまりに深遠で謎の多い,またあまりに今日的な〉ベルヌは,近年ますます多角的な研究・評論の対象になっている。
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百科事典マイペディア 「ベルヌ」の意味・わかりやすい解説

ベルヌ

フランスの作家。劇作家として出発したが,《気球に乗って5週間》(1863年)の成功で空想科学小説に独自の分野を開拓。代表作《月世界旅行》《海底二万哩》《80日間世界一周》などがあり,日本でも明治10年代から翻訳・紹介された。SFの始祖であり,今日にいたるまで多くの文学者に影響を与えつづけている。
→関連項目井上勤川島忠之助ノーチラス号万国著作権条約メリエス森田思軒

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世界大百科事典(旧版)内のベルヌの言及

【宇宙飛行】より

…また,宇宙飛行を目ざした人々でもニュートンの示した8km/sという速度にあえて挑む人物は当分いなかったのである。 これに挑んだのは(もちろん想像であるが)19世紀のジュール・ベルヌで,《月世界旅行》の中においてであった。産業革命の真っただ中であって,これまで不可能と思われたことが近代科学によって次々に実現しつつある時代であった。…

【SF】より

…この系譜はブラッドベリ,ライバーF.Leiberなど現代のアメリカSFにまで一つの流れを形成しており,恐怖小説誌《ウィアード・テールズ》(1923‐54)はアメリカの大衆小説としてのSFを生む重要な土壌ともなった。しかし,真にSFに強力な方向性を与えたのは,フランスのベルヌとイギリスのH.G.ウェルズである。ベルヌは《月世界旅行》(1865)や《海底二万リーグ》(1870)において,科学技術による未来の夢と未知の世界への冒険をおおらかに展開し,自国以上にアメリカで大きな人気を得た。…

【児童文学】より

…作品は太い流れを形づくることはなく,おもしろい作品が多いが散発的である。H.H.マロが《家なき子》(1878)で遍歴する孤児のテーマを流布させたが,同じころJ.ベルヌがSFの先駆といわれる作品を精力的に書いて,夢想に現実性を与えた。少年小説の古典《二年間の休暇(十五少年漂流記)》(1888)も彼の手になる。…

【ナダール】より

…また58年には気球に乗り,世界最初の空中写真の撮影を試みたり,61年には3ヵ月をかけてパリの地下に発見されたカタコンベ(地下納骨堂)の撮影を,当時ようやく開発されたアーク灯による人工照明で撮影している。ナダールの波瀾に富んだ経歴はJ.ベルヌの《月世界旅行》の主人公のモデルとしても反映されているといわれる。彼が残した数々のポートレートやドキュメントは,単にパイオニアというだけではなく,完成された独自の世界をもって今も息づいており,とくにそのポートレートはすぐれた芸術的古典といいうるものであろう。…

※「ベルヌ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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