明治の新聞記者、翻訳家。本名文蔵。別号は埜客(やきゃく)、羊角(ようかく)山人、白蓮庵(びゃくれんあん)主人など。文久(ぶんきゅう)元年7月21日備中(びっちゅう)国(岡山県)笠岡(かさおか)に生まれる。慶応義塾大阪分校で矢野龍渓(りゅうけい)に師事する。のち上京し、慶応義塾で英文学を学ぶ。さらに漢学を修めた。1882年(明治15)龍渓の勧誘により『郵便報知新聞』に入社した。1885年中国に特派され、「北京(ペキン)紀行」などの紀行文によって文名を高めた。同年、ヨーロッパやアメリカ巡遊に出発。帰国後は龍渓の推進した報知新聞社の改革に協力した。この改革により『報知新聞』は、政論本位の新聞から社会面、文芸欄を充実させた新聞に変質した。思軒は、事実上の編集責任者として腕を振るうとともに、自らの文学作品を紙面に掲載した。このころ、とくに翻訳家として名をあげ、ジュール・ベルヌやビクトル・ユゴーの小説を多く翻訳、翻案し発表した。一時は「翻訳王」ともよばれるほどであった。代表的翻訳作品は、ベルヌの『鉄世界』『十五少年』、ユゴーの『探偵ユーベル』『クラウド』などである。1892年『報知新聞』を辞職し、『国会』に客員待遇で入社。同紙上や『国民之友』『太陽』などの雑誌に多くの翻訳、批評などを寄稿し、文壇の売れっ子であった。1896年黒岩涙香(るいこう)に説かれ『萬(よろず)朝報』に入社し、同紙文芸欄に健筆を振るった。思軒の「周密文体」ともいわれる独特の文体は、当時の文学に大きな影響を与えるなど、文学史的には外国文学翻訳、紹介以上の功績があった。明治30年11月14日死去。
[有山輝雄]
『『思軒全集』第1巻のみ刊行(1907・堺屋石割書店)』▽『柳田泉著『明治初期翻訳文学の研究』(1961・春秋社)』
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新聞記者,翻訳家,批評家。備中国笠岡の商家に生まれる。別号は埜角,紅芍園主人など。本名は文蔵。1874年春,大阪の慶応義塾分校に入ったが,まもなく徳島に塾が移転したのでこれに同行し,76年に上京して本校に転じた。のち岡山の興譲館で漢学を修め,82年再度上京して《郵便報知新聞》の記者となり,中国と欧州に赴き,〈竜動(ロンドン)通信〉などで名声をはせ,86年帰国した。同紙にジュール・ベルヌの《仏曼二学士の譚》(1887)などを翻訳連載した。ビクトル・ユゴーの《随見録》《探偵ユーベル》を周密な文体で翻訳し,ユゴーの人道主義を基盤にした批評の筆をふるい,国会新聞社を経て万朝報(よろずちようほう)社に入り同紙を刷新した。ユゴー《死刑前の六時間》《懐旧》などで翻訳王の名をほしいままにした。
執筆者:富田 仁
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(井川充雄)
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