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ベルベデーレ宮殿 ベルベデーレきゅうでんSchloss Belvedere

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ベルベデーレ宮殿
ベルベデーレきゅうでん
Schloss Belvedere

オーストリア,ウィーン旧市街南東部の広大な土地に営まれた館と庭園。サボイア公オイゲンがオスマン帝国軍を破った功績により受けた恩賞金でこの地を求め,夏の住まいとして南北に細長い敷地の南端に賓客を迎えるレセプション・ホール,北端みずからの住まいをつくった。設計はヨハン・ルカス・フォン・ヒルデブラントが担当し,下 (北) の館は 1716年,上 (南) の館は 1724年に竣工した。庭園はアンドレ・ル・ノートルを師とする F.ジラールの設計で,上下の館の間に 3段のテラスを築きつくられている。上の館は 19~20世紀絵画館としてグスタフ・クリムトやエゴン・シーレ,オスカー・ココシュカの作品やウィーン幻想派の作品を収め,下の館はバロック美術館と中世美術館になっている。

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デジタル大辞泉の解説

ベルベデーレ‐きゅうでん【ベルベデーレ宮殿】

Schloß Belvedere》オーストリアの首都、ウィーンの中心部にある宮殿。ハプスブルク家に仕えた名将オイゲンの夏の離宮として、ルーカス=フォン=ヒルデブラントの設計により、1714年から1723年にかけて建造された。現在、美術史美術館に次いで同国第2の規模を誇る美術館になっている。

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世界大百科事典 第2版の解説

ベルベデーレきゅうでん【ベルベデーレ宮殿 Belvedere】

ウィーンにあるオーストリア・バロックの郊外宮殿。皇子オイゲンがヒルデブラントに造らせたもので,斜面をなす庭園を挟んで,社交・祝典用の〈上ベルベデーレ〉(1721‐22建設)と居住用の〈下ベルベデーレ〉(1714‐16建設)の2棟からなる。前者はウィーン市街を見渡す高台にあり,庭園に続く〈テレーナの間〉,その上の大広間,この両室をつなぐ大階段ホールといった壮麗な内部空間を備えている。1955年5月この宮殿で,オーストリアの主権回復を認める〈オーストリア国家条約〉が米・英・仏・ソ4国の間で調印された。

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世界の観光地名がわかる事典の解説

ベルベデーレきゅうでん【ベルベデーレ宮殿】

オーストリアの首都ウィーンにあるバロック様式の宮殿。上宮下宮の2つの建物からなり、両宮殿の間に美しい庭園がある。1683年のオスマントルコの第2次ウィーン包囲で始まった戦争を勝利に導いた将軍、プリンツ・オイゲン(1663~1736年)の夏の離宮として18世紀初めに建設されたが、その後、皇后・オーストリア大公マリア・テレジアに売却された。現在、上宮は同国で2番目に大きな美術館のオーストリア絵画館に、下宮は中世・バロック博物館になっている。上宮のオーストリア絵画館ではグスタフ・クリムト(1862~1918年)の代表作「接吻」やエゴン・シーレ(1890~1918年)の「家族」などの19~20世紀の絵画が、下宮の中世・バロック博物館ではメンテナンスの肖像画やロットマイヤーのフレスコ画などのバロック美術の作品を見ることができる。なお、この宮殿の敷地内に、作曲家アントン・ブルックナー(1824~1896年)が晩年を過ごした邸宅がある。◇現地名は「Belvedere Palace」。

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