翻訳|Verona
イタリア北部,ベネト州の都市。人口25万9380(2005)。町の中央をアディジェ川が蛇行するベローナは北ヨーロッパとイタリアを結ぶ交通の要衝にあり,穀物取引の市場として栄え,20世紀に入って,機械,製紙,薬品の製造などの工業も発達した。古代の土着民によって建設された町で,前89年,ローマの植民市になり,3世紀には軍事基地に変貌した。489年東ゴート王テオドリックに占領され,ランゴバルド王アルボイノAlboinoはベローナを居城とした。774年カール大帝がベローナを征服し,その息子ピピンはここを彼の王国の主要都市として発展させた。イタリア王国が崩壊すると,オットー1世はイタリアへの安全な道を確保するため,ベローナの統治をバイエルン公に委託し,11世紀末までドイツ人司教がベローナ教区を管轄することになった。12世紀前半にコムーネが成立し,1167年教皇派のロンバルディア都市同盟に参加した。コンスタンツの和(1183)後,ドイツとの自由貿易の道が開かれると,ベローナは領土拡張主義をとり,フェラーラ,マントバと争った。一方,町の豪族のあいだで政権争いが始まり,1236年エッツェリーノ・ダ・ロマーノはフリードリヒ2世の援助を得てベローナのシニョーレの地位を獲得した(シニョリーア制)。1260年デラ・スカラ家のマスティーノをカピターノ・デル・ポポロに選びコムーネが再建されたが,マスティーノの弟アルベルトは,みずからベローナのシニョーレとなった。シェークスピアの悲劇《ロミオとジュリエット》はこのスカラ家統治時代に題材をとっている。
カングランデ(1329没)の時代に,ビチェンツァ,パドバ,トレビーゾを征服し,スカラ家の統治領域は最大になった。1387年ミラノのビスコンティ家の手に落ち,さらに1405年,ベネチア共和国に領有され,その統治はナポレオンの征服(1797)まで続いた。その後オーストリア領となり,1866年イタリア王国に編入された。
執筆者:町田 亘
ベローナには古代からルネサンスまでの遺産が多く,互いに調和して残存する。ローマ時代の建築には,アレーナArena(1世紀の円形劇場。席数2万。今日もオペラ上演などに使用される),ボルサーリ門(1世紀。3世紀再建)などがある。教会堂も多く,ロマネスク様式の大聖堂,初期ロマネスク彫刻の重要例である入口扉の青銅浮彫(11~12世紀)をもつサン・ゼノ・マッジョーレ教会,華麗な内部装飾のサンタナスタシア教会(13~15世紀)などがとくに知られる。スカラ家の館,同家の彫刻や鉄細工で飾られた墓(14世紀)なども残る。14世紀にスカラ家により造られた城塞カステルベッキオ(〈古い城〉の意)は,現在は美術館とされ,中世から18世紀までの絵画,彫刻などを陳列する。
執筆者:井手 木実
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イタリア北東部、ベネト州ベローナ県の県都。人口24万3474(2001国勢調査速報値)。レッシーニ山地の南麓(なんろく)、アディジェ川沿いに位置する。アルプスのブレンナー峠を経て、北イタリアの主要都市とオーストリアとを結び付ける交通の要地。農産物の集散地として知られ、毎年国際農業市(いち)が開催される。製鉄、機械、印刷、食品、化学などの工業活動も盛んである。また『ロメオとジュリエット』の舞台としても有名。市内には古代ローマの円形劇場(紀元前1世紀のもので、毎年夏にオペラが上演される)、サン・ゼノ教会(12~14世紀)、14世紀につくられた城塞(じょうさい)カステルベッキオなどがあり、訪れる観光客も多い。1822年に開かれたベローナ会議の開催地。市内は2000年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[堺 憲一]
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