ペラ(英語表記)Pella/Πέλλα

デジタル大辞泉 「ペラ」の意味・読み・例文・類語

ペラ(Pella/Πέλλα)

ギリシャ北部、マケドニア地方の町。テッサロニキ北西約40キロメートル、ローディアス川沿いに位置する。紀元前5世紀にマケドニア王国首都が置かれた。紀元前2世紀、古代ローマ帝国に征服され、その後地震被害により衰退アレクサンドロスおよび父フィリッポス2世生地。20世紀の発掘調査により、紀元前3世紀頃の柱やモザイクの床が発見された。
タバカットファハル

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改訂新版 世界大百科事典 「ペラ」の意味・わかりやすい解説

ペラ
Pella

北部ギリシアの中心テッサロニキ市の西方約38kmに位置する町。マケドニア王国の首都の遺跡がある。この王国のアルケラオス王(在位,前413-前399)が,それまでの首都アイガイから遷都したといわれ,ギリシア文化受容の中心となった。アレクサンドロス大王の生地でもある。第2次世界大戦後の遺跡発掘により,公共建築物,下水道をともなう道路などが明らかとなり,現在も発掘続行中である。特に建造物床面の小石モザイクの精巧さが有名である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペラ」の意味・わかりやすい解説

ペラ
Pella

古代マケドニアの首都。サロニカ (セサロニキ ) の北西約 39kmに位置していた。前5世紀末にアルケラオスがここに首都をおいてから栄えはじめ,フィリッポス2世もとに急速な発展をとげた。アレクサンドロス3世 (大王) もここで生れている。前 168年ローマの軍門にくだって以来,地方の一小都市没落。 20世紀の考古学的発掘により,柱廊を配した建物が発見され,その床に敷きつめられたモザイク模様は,さまざまな色の自然の小石を用いて,ライオン狩りや「ひょう」に乗るディオニュソスなどを描き出しており,前4世紀後半のものとされる。また全体が広い街路によって整然と区画され,水道施設も整っていたことが知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペラ」の意味・わかりやすい解説

ペラ
ぺら
Pella

マケドニア王国の首都。エーゲ海北西端のテッサロニキ北西約40キロメートル、ローディアス川の河畔にある。紀元前5世紀アルケラオスがここに都を置いて以後、前168年ローマ帝国に征服されるまで栄えた。マケドニアは前4世紀フィリッポス2世のもとで軍事的統一国家を形成する。このあと、この地で生まれたアレクサンドロス3世(大王)の治世に至るに及んで、ここは当時、世界でもっとも活力に満ちた都市となった。

[鈴木忠司]

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世界大百科事典(旧版)内のペラの言及

【モザイク】より

…モザイクの技法による具象的な絵画が描かれるようになるのは,ヘレニズム時代と考えられる。マケドニア北方のペラ出土の舗床モザイク(前4世紀末)では,白・黒・茶色など数色の小石により,狩猟場面や神話主題などが表されている。イタリアのポンペイからは多くのモザイク画が発見されているが,なかでも有名な《イッソスの戦》のモザイク壁画(前2世紀後半)は,ヘレニズム時代のフレスコのコピーといわれ,細緻でイリュージョニスティックな表現が見られる。…

※「ペラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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