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ホルティ Horthy Miklós

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ホルティ
Horthy Miklós

[生]1868.6.18. ケンデレシュ
[没]1957.2.9. エストリル
ハンガリーの提督,政治家。 1900年オーストリア=ハンガリー帝国の海軍士官,18年提督となり,19年クン・ベーラ革命に対抗し「国民軍」を結成,セゲドに成立した右派政権の国防相となった。 20~44年再建ハンガリー王国の摂政に就任,矢十字党を利用し独裁政治を実施,対外的には枢軸側に参加した。第2次世界大戦末期に休戦を決意したが矢十字党の画策のため失敗,戦後ポルトガル亡命した。

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百科事典マイペディアの解説

ホルティ

ハンガリーの軍人,政治家。第1次大戦末期オーストリア・ハンガリー艦隊司令官。1919年クンの共産政権を倒し,1920年以後ハンガリー王国摂政として独裁政治をしく。

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世界大百科事典 第2版の解説

ホルティ【Horthy Miklós】

1868‐1957
ハンガリーの保守政治家。オーストリア・ハンガリー最後の海軍提督。第1次大戦末期1918年2月にはカックロ湾の反戦兵士反乱を鎮圧。19年3月にハンガリーにソビエト政権ができると,セゲドに反革命政府を樹立。19年11月反革命軍の先頭に立って首都に入城,白色テロを指導した。20年3月ハンガリー王国摂政となるが,ハプスブルク家のカール4世(オーストリア皇帝カール1世)の復位を拒否。権威主義的反動体制を樹立するが,ゲンベシュ・ジュラらの右翼急進主義やナチズムには批判的であった。

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大辞林 第三版の解説

ホルティ【Horthy de Nagybánya Miklós】

1868~1957) ハンガリーの軍人。1919年に樹立されたソビエト政権を倒し、摂政として独裁をうちたてる。第二次大戦に枢軸側に参加、44年に失脚し、戦後ポルトガルへ亡命。

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世界大百科事典内のホルティの言及

【ハンガリー】より

…しかしこの政権も,外国軍の干渉や農業政策の誤り(性急な集団化)のために,わずか133日で崩壊した。こののち王国が復活し(ただし国王はいない),ホルティを摂政とする権威主義的反動体制が成立し,強烈な反ボリシェビズムが広がった。また20年のトリアノン条約で多数のハンガリー人居住地を周辺諸国に割譲したため,戦間期には国境の修正を目ざす熱狂的なナショナリズム(〈修正主義〉と呼ばれた)が国を支配した。…

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