ボストン茶会事件(読み)ボストンチャカイジケン(その他表記)Boston Tea Party

翻訳|Boston Tea Party

デジタル大辞泉 「ボストン茶会事件」の意味・読み・例文・類語

ボストンちゃかい‐じけん〔‐チヤクワイ‐〕【ボストン茶会事件】

1773年、英本国制定した茶条例に反対するアメリカ植民地の急進派の人々が、ボストン港に入港した東インド会社の船を襲い、積荷の茶を海に捨てた事件英国がアメリカ植民地に対する弾圧を強めたため、両者対立は激しくなり、独立戦争契機となった。→アメリカ独立革命

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精選版 日本国語大辞典 「ボストン茶会事件」の意味・読み・例文・類語

ボストン‐ちゃかいじけん‥チャクヮイジケン【ボストン茶会事件】

  1. 一七七三年、茶条例に反対してボストンの反イギリス急進派が、停泊中の東インド会社汽船二隻を襲撃、茶箱を海中に投棄した事件。この事件によりイギリス政府のアメリカ植民地弾圧は厳しくなり、やがて一七七五年の武力衝突となり、アメリカ独立のきっかけとなった。

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改訂新版 世界大百科事典 「ボストン茶会事件」の意味・わかりやすい解説

ボストン茶会事件 (ボストンちゃかいじけん)
Boston Tea Party

1773年,北アメリカのボストンで,民衆が入港したイギリス船に乗り込み,東インド会社の茶箱を海に投げ捨てた事件。イギリスの北アメリカ植民地ではタウンゼンド諸法撤廃(1770)後も茶税のみ残され,73年には茶税法が制定され,茶は植民地人にとって本国の重商主義的圧制のシンボルとなっていた。同年10月から茶税法による東インド会社の茶を積んだ船が植民地に到着しはじめると,フィラデルフィアニューヨークチャールストンの民衆は集会を開き,茶を陸揚げせずに本国に送り返すよう要求して成功した。しかし,ボストンの茶販売人たちは,総督T.ハッチンソンの手腕を信頼し,3000箱以上の茶を輸入し,さらに茶船3隻が入港した。これに対してS.アダムズらを中心とするボストン民衆は73年12月16日の夜,インディアンに仮装して茶船に乗り込み,342箱約9万ドルの茶を海に投げ捨てた。イギリス議会はその弁償マサチューセッツ議会に要求,ボストン港封鎖法その他の強圧諸法を制定し,軍隊をボストンに駐留させた。植民地側は翌74年大陸会議を開いて反英の姿勢を固め,独立革命への道を進む。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボストン茶会事件」の意味・わかりやすい解説

ボストン茶会事件
ボストンちゃかいじけん
Boston Tea Party

1773年 12月 16日,アメリカのマサチューセッツ湾植民地の住民がイギリスの茶税法に反対してボストン港に停泊中の東インド会社の船から茶箱を海に投棄した事件。 73年イギリスのノース内閣は植民地商人による茶の密貿易を禁じ,茶の滞貨に苦しむ東インド会社に茶の独占販売権を与え茶税法を制定。これに不満をもつアメリカ植民地人は各地で茶の荷揚げ阻止や茶販売人の辞退強制などの直接行動に出たが,ボストンではインディアンに変装した急進派の一団が,同年 12月 16日港内に停泊中の3隻の東インド会社船に乗込み 342箱 (1万 5000ポンド) の茶を海に投棄した。これに激高したイギリス政府は翌 74年ボストン港閉鎖法など「強圧諸法」を制定し損害賠償を求めたが,ボストン市民はこれを拒否しマサチューセッツ住民やほかの植民地住民もこれに同調して大陸会議を結成し抵抗した。アメリカ独立革命 (→アメリカ独立戦争 ) がイギリス帝国内での言論による改革運動から,帝国からの分離,独立を目指す革命運動へと転化する契機となった事件として重要な意義がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボストン茶会事件」の意味・わかりやすい解説

ボストン茶会事件
ぼすとんちゃかいじけん

1773年、北米植民地で起こった茶船襲撃事件。同年制定の茶法は、経営難に陥っていた東インド会社に対して北米植民地での茶の独占販売権を与えたが、植民地人たちはこれを悪(あ)しき重商主義体制の強化ととらえて広範な反対運動を展開した。主要な港での茶の陸揚げ阻止が図られ、ボストン港で同年12月16日夜最初の実力行使が行われた。すなわち、秘密結社「自由の息子たち」などの急進派がモホーク・インディアンに変装して茶船を襲撃し、茶箱342箱を破壊して海中に投棄した。イギリス本国側はこの事件を本国議会の立法権に対する公然たる反逆とみなし、翌年3月のボストン港閉鎖条例をはじめとする一連の「懲罰諸法」を制定して報復した。

[島川雅史]

『今津晃著『アメリカ独立革命』(1974・至誠堂)』『武則忠見著『民衆とアメリカ革命』(1976・亜紀書房)』

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百科事典マイペディア 「ボストン茶会事件」の意味・わかりやすい解説

ボストン茶会事件【ボストンちゃかいじけん】

1773年,英本国の茶税法に反対するボストン市民の一団がS.アダムズに率いられ,ボストンに入港した東インド会社の茶船を襲い,茶を海に捨てた事件。茶税法は当時の英領北米植民地に対する茶の輸出独占権を東インド会社に与えたもの。英本国政府はこの事件に対してボストン港の閉鎖等懲罰政策をとったため,各植民地は結束して本国の措置を非難し,アメリカ独立革命の契機となった。
→関連項目アダムズボストンマサチューセッツ[州]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ボストン茶会事件」の解説

ボストン茶会事件
ボストンちゃかいじけん
Boston Tea Party

1773年に制定された茶法に反対し,北アメリカ植民地ボストンの市民が起こした事件
サミュエル=アダムズの率いる急進派は東インド会社の茶船を襲い,茶1万5000ポンドを海中に捨てた。このため,イギリス本国はボストン港の閉鎖,マサチュセッツ植民地の自治権剝奪 (はくだつ) ,イギリス軍の駐留などの強圧的な条例を制定し,アメリカ独立戦争の契機となった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ボストン茶会事件」の解説

ボストン茶会事件(ボストンちゃかいじけん)

ボストンの茶事件

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世界大百科事典(旧版)内のボストン茶会事件の言及

【アメリカ独立革命】より

…その結果各地で茶の陸上げが阻止されたが,73年12月ボストンにおいてサミュエル・アダムズを指導者とする植民地人の一群が,インディアンに扮して船上の茶箱をボストン港湾に投げすてるという事件が起こった。ボストン茶会事件と呼ばれるこの事件は,本国と植民地間の対立を抜き差しならないものにしてゆく。すなわち,この報に接した本国政府はボストン港の封鎖をはじめとする制裁的な諸法を制定,駐米イギリス軍司令官のT.ゲージ将軍をマサチューセッツの総督に任命,強行措置に出ることを明らかにし,他方植民地側も74年9月フィラデルフィアに各植民地の代表よりなる大陸会議を開き,植民地間の団結した反英抗争を展開することを決議する。…

※「ボストン茶会事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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