1773年,北アメリカのボストンで,民衆が入港したイギリス船に乗り込み,東インド会社の茶箱を海に投げ捨てた事件。イギリスの北アメリカ植民地ではタウンゼンド諸法の撤廃(1770)後も茶税のみ残され,73年には茶税法が制定され,茶は植民地人にとって本国の重商主義的圧制のシンボルとなっていた。同年10月から茶税法による東インド会社の茶を積んだ船が植民地に到着しはじめると,フィラデルフィア,ニューヨーク,チャールストンの民衆は集会を開き,茶を陸揚げせずに本国に送り返すよう要求して成功した。しかし,ボストンの茶販売人たちは,総督T.ハッチンソンの手腕を信頼し,3000箱以上の茶を輸入し,さらに茶船3隻が入港した。これに対してS.アダムズらを中心とするボストン民衆は73年12月16日の夜,インディアンに仮装して茶船に乗り込み,342箱約9万ドルの茶を海に投げ捨てた。イギリス議会はその弁償をマサチューセッツ議会に要求,ボストン港封鎖法その他の強圧諸法を制定し,軍隊をボストンに駐留させた。植民地側は翌74年大陸会議を開いて反英の姿勢を固め,独立革命への道を進む。
執筆者:武則 忠見
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1773年、北米植民地で起こった茶船襲撃事件。同年制定の茶法は、経営難に陥っていた東インド会社に対して北米植民地での茶の独占販売権を与えたが、植民地人たちはこれを悪(あ)しき重商主義体制の強化ととらえて広範な反対運動を展開した。主要な港での茶の陸揚げ阻止が図られ、ボストン港で同年12月16日夜最初の実力行使が行われた。すなわち、秘密結社「自由の息子たち」などの急進派がモホーク・インディアンに変装して茶船を襲撃し、茶箱342箱を破壊して海中に投棄した。イギリス本国側はこの事件を本国議会の立法権に対する公然たる反逆とみなし、翌年3月のボストン港閉鎖条例をはじめとする一連の「懲罰諸法」を制定して報復した。
[島川雅史]
『今津晃著『アメリカ独立革命』(1974・至誠堂)』▽『武則忠見著『民衆とアメリカ革命』(1976・亜紀書房)』
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…その結果各地で茶の陸上げが阻止されたが,73年12月ボストンにおいてサミュエル・アダムズを指導者とする植民地人の一群が,インディアンに扮して船上の茶箱をボストン港湾に投げすてるという事件が起こった。ボストン茶会事件と呼ばれるこの事件は,本国と植民地間の対立を抜き差しならないものにしてゆく。すなわち,この報に接した本国政府はボストン港の封鎖をはじめとする制裁的な諸法を制定,駐米イギリス軍司令官のT.ゲージ将軍をマサチューセッツの総督に任命,強行措置に出ることを明らかにし,他方植民地側も74年9月フィラデルフィアに各植民地の代表よりなる大陸会議を開き,植民地間の団結した反英抗争を展開することを決議する。…
※「ボストン茶会事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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