ポンパドゥール夫人(読み)ポンパドゥールふじん(英語表記)Marquise de Pompadour, Jeanne Antoinette Poisson

百科事典マイペディア 「ポンパドゥール夫人」の意味・わかりやすい解説

ポンパドゥール夫人【ポンパドゥールふじん】

フランス国王ルイ15世の愛人市民の出だが美貌才知野心により国王の寵愛をうけ,1745年侯爵夫人の称号を受けた。国政にも影響力をもち,七年戦争を継続させフランスに打撃を与えた。城館建設等で費消した国費は膨大で,フランス革命一因ともされる。また学芸の保護育成に熱心で,そのサロンにはボルテール百科全書派の人びとが出入りした。
→関連項目ブーシェラ・トゥール

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポンパドゥール夫人」の意味・わかりやすい解説

ポンパドゥール夫人
ぽんぱどぅーるふじん
Marquise de Pompadour, Jeanne Antoinette Poisson
(1721―1764)

フランス王ルイ15世の寵姫(ちょうき)。パリの資産家の娘。母の愛人の甥(おい)ル・ノルマンと結婚したが、タンサン夫人ジョフラン夫人のサロンに出入りし、その才知と美貌(びぼう)、繊細な感覚をもって社交界に名を馳(は)せた。ルイ15世の目にとまり、1745年宮廷に入り、王の寵姫となり、ポンパドゥール侯夫人を名のった。王妃女官を務め、尊敬を集めた。王の信愛は厚く、ベルビュー、ラ・セル、クレシー、エブルー館(現エリゼ宮)などの居館や土地、莫大(ばくだい)な金銭を与えられ、居館は「ポンパドゥール様式」で飾られた。哲学や文学、芸術理解が深く、ボルテールやディドロケネーなど啓蒙(けいもう)主義者を保護した。また、王立セーブル磁器製作所の創設を提言した。1764年4月15日、肺炎で没した。

[千葉治男]

『D・d・カストル著、小宮山正弘訳『ポンパドゥール夫人』(1986・河出書房新社)』

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旺文社世界史事典 三訂版 「ポンパドゥール夫人」の解説

ポンパドゥール夫人
ポンパドゥールふじん
Madame de Pompadour

1721〜64
フランス王ルイ15世の寵姫
才色すぐれ,社交界の女王として君臨。政治にも干渉し,外交方針を反オーストリアから親オーストリアに転換させ,プロイセンに対抗した。哲学や芸術にも理解が深く,ヴォルテール,ケネー,ディドロらを援助した。

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世界大百科事典(旧版)内のポンパドゥール夫人の言及

【セーブル磁器】より

…53年には王立磁器製作所となり,製品には交差したLの窯印を用いた。 ルイ15世の愛妾で愛陶家のポンパドゥール夫人は53年,このバンセンヌ窯をベルサイユの彼女の邸館に近いセーブルに移転させることを提案し,その名称も〈フランス王立セーブル磁器製作所〉と改めさせた。56年の移転から69年にかけてセーブル窯はエロー,彫刻家のファルコネ,画家のブーシェら当代の著名な化学者や画家を招き,フランスの誇るすぐれた磁器を製作した。…

※「ポンパドゥール夫人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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